●平成17年09月07日 製造業務を振り返る |
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先回のコラムでは、製造業務における考える力(「四考法」)の応用の「縁起」について述べて参りました。つまり、製造業務を行うとその後どうなるのかを考えて参りました。 企業は物であれ、ノウハウであれ、何かを作って産み出さなくては、それを売ってお金にすることはできません。従って、その企業の業種に関係なく、「創る」ということから離れることはできません。ましてや、その企業が製造業であるならば、「創る」ということは、その企業の命そのものとなってきます。 そこで、再度、製造業務とはそもそも何なのか、製造業がある理由は何か、その目的は何か、そして、それがあったらどうなるのかを考えてみたいと思います。 1.製造業務とは何なのか(本質) 製造業務の本質を考えるところでは、製造業務とは、幸福の創造であり、また、鉄砲の弾であるという考え方が出されました。幸福と鉄砲の弾とは、まったく逆の考えが出された訳ですが、よくよく考えてみますと、両者は融合されることも発見されました。 つまり、製造業の本質とは、いい製品を開発製造して、それを使う消費者に幸福を与えるということであり、また同時に、そのいい製品を売ることによって、同業他社の追随を許さない強力な武器ともなる訳で、それら両者をつなぐのが、いい製品だということなのです。 ですから、企業にいくら資本があっても、いくらいい営業組織があったとしても、そこで製造している製品に魅力がなかったならば、それらは台無しになってしまいます。 もの不足の時代ならばいざ知らず、これだけものが溢れている時代においては、消費者が製品を選ぶことが常態化し、少しでも他の製品と劣る製品は見向きもされないようになってきます。 そのことはつまり、二極化していくことを意味しています。つまり、売れる製品は、ますます売れるし、売れない製品は、さらに売れなくなるということです(*1)。 これは不公平ではないかと思われる方もおられるかもしれませんが、これが法則であると理解しなくてはいけない時代がやってきたということではないでしょうか。 2.なぜ製造業務があるのか(理由) なぜ製造業があるのかを考えるところでは、そもそも自然そのものが加工を前提にして存在しているのではないかという発見がありました。 それは、あまりにも合目的的であるのではないかと思われるのです。なぜ、木は丸太小屋になったり、板になったり、また、仏像になったりするのでしょうか。 なぜ、鉱脈の金属は、溶かして固めると様々のものになるのでしょうか。なぜ、原油を精製加工するとガソリンやプラスチックになるのでしょうか。 それを考えてみますと、あたかも私たち人間に対して加工して欲しいとでも言っているようであります。そして、人間には考える力が与えられています。 その素材と考える力が融合して「ものづくり」ということが必然的に行われていくのではないかと思います。たとえこの先、何千年、何万年を経ても、人類はものづくりを続けるでしょう。それは、あたかも登山家が、なぜ、山に登るのかを問われたときに、「そこに山があるから」と言ったように、そこに素材がある限り、加工活動は続くと思います。 3.何のために製造業務を行うのか(目的) 次に、何のために製造業務を行うのかを考えるところでは、製品は多弁であるということを述べました。 つまり、企業が世の中に対して自分の考えや精神を伝える手段として製品があるという発見がありました。企業は、コマーシャルを流したり、あるいは雑誌などで自分の企業の考え方を発表していますが、百聞は一見に如かずのとおり、製品を見れば、すぐにその企業の考えていることが分かります。 ですから、怖いです。製品は正直に企業を語ります。それも包み隠さず語るのです。ですから嘘はつけません。コマーシャルでいいことを言っても、それを手に取った消費者は騙せないのです。 まだ文句を言ってくれる消費者ならいいです。通常の多くの消費者は、文句も言ってくれません。ただ去るだけなのです。ですから、クレームを頂けれるだけでもありがたいと思わなくてはならないのです。 それ故に、製造業務の目的は人々の幸福へと向かっていきます。つまり、いい製品を創ることによって人々の幸福、世の中の幸福に貢献することこそが、製造業務の目的であると言えるのです。 4.製造業務をすれば、その後どうなるのか(縁起) そして、最後に縁起です。縁起を考えるところでは、製品が世の中を変えていくものになるという発見もありました。 製品は製品であって単なる製品ではありません。例えば、コンピュータを例にとって考えてみますと、当初はコンピュータは文字通り計算をするためのものでした。 確かに、会社の経理の数字を扱ったり、社員の給与の計算などで利用されました。しかしながら、それが、一旦インターネットに繋がれたならば、その回線を通して多くの知識がコンピュータに飛び込んできたのです。 従来では何か疑問があったら、人に聞くなり、図書館に行くなり、また、電話で問い合わせをしたりしていましたが、今や、検索サイトにキーワードを打ち込むだけで、世界中の知識を手に入れることができます。 そうなると、世の中の流れや仕組みまでが影響を受けて変わって来ざるを得なくなってきたのです。コンピュータを発明した人は、ここまで予想をしていたでしょうか。 いや、そこまでは思っていなかったと思います。計算を早くしたり、プリンターに早く印字することは充分に予想していたと思いますが、仕事のスタイルまでを変化させるような力があるとは思っていなかったのではないでしょうか。 かつてノーベルがダイナマイトを発明したとき、炭鉱や道路の建設用にと思っていましたが、それが戦争に使われて大量に人々を殺戮するものになるとは思っていませんでした。 しかしながら、それは製品でありましたが、もはや単なる製品ではなくて、戦いのスタイルそのものまで変えてしまいました。 そのように、製品というものは、自分が思っているよりも大きなインパクトを持っているものだという認識を持って製造に従事する必要があると改めて思った次第です。 以上、製造業務について述べて参りました。考える力を応用することによって、製造業務がまた違った形で見えてきたのは、私だけではないように思います。 それでは、次回もお会いいたしましょう(竹内)。 (*1)『黄金の法』P.26(幸福の科学出版)
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●平成17年09月27日 考える方法、四考法とは何か |
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さて、今まで考える方法について述べてきた訳ですが、ここで再度、考える方法について過去の七の日コラムから目次をまとめてみました。これを見てみますと、四考法について、さらにお分かり頂けれるのではないかと思います。
以上、考える方法である「四考法」に関する部分だけをまとめてみました。七の日コラムを書いているときは、これらの内容が立体的にまとまるとは思っていなかったのですが、こうして鳥瞰してみますと、ひとつまとまりになっているのではないかと自分でも驚いた次第です。 今回、中間のまとめとして四考法を眺めてみました。それでは、次回は、企画業務を四考法にて考えてみたいと思います。(竹内)
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●平成17年10月07日 仕事とは何かを考える |
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先回のコラムでは、考える方法についてのシリーズを再度眺めてみました。そこで、今回も、考える方法と同じく、この七の日コラムのシリーズの中心的論点のひとつである仕事論についても、再度眺めてみたいと思います。
以上、仕事とは何かということについて述べました。今、世の中が大きく変わり、従来では人間が行っていたことを、機械やロボットが行うようになって参りました。 機械やロボットが行うので人間が楽になると思うと大間違いで、人間にはさらに高度な仕事が要求されるようになりました。それが、考えることであり、「考えること自体が仕事である」と言われる理由です。 ここで、再度、仕事の体系図を以下に示します。
私たちは、従来まで時間給という基準でもって働いて参りましたが、これからは、たとえサラリーマンであっても成果でもってその成果に対する価値が給料として払われる時代に入ってきたと言えるでしょう。 例えて言うならば、サラリーマンであっても、作曲家や画家、小説の作家のような形での給与形態になるのではないかと予想されるのです。 それでは、次回もお会いいたしましょう。(竹内) (*1)「真説・八正道」第4章「正業」(幸福の科学出版) |
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●平成17年10月17日 七の日コラムをさらにまとめる |
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先回のコラムでは、仕事論について考えてみました。現代のような高度な社会においては、仕事ができることがまた一つの幸福論であると言えます。熱帯の果樹園の中で暮らすならば、実っている果実を食べて生きていくことができますが、高度な経済社会の中においては、どうしても働いてお金を得て、そのお金で生きていくことが必要となります。 従って、仕事が出来ることが、また現代の幸福論の一つだと言うことができるのです。 さて、ここ2回ほど、過去の七の日コラムを「考える方法、四考法とは何か」と「仕事とは何かを考える」の2つにまとめて参りましたが、こうして再度眺めてみますと、また、新鮮な発見もあるものです。そこで、その他の論点についてもなかなか捨てがたく、今一度、まとめてみたいと思います。
以上のように、一見関係のないように思われた七の日コラムが、一つの形となって現れてきたのではないかと思います。 それでは、次回もお会いいたしましょう。(竹内)
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●平成17年10月27日 考えることが仕事になる |
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過去数回、過去の七の日コラムを振り返ってみましたが、やはり中心的テーマは、仕事論と考えることに集約されるのではないかと思います。 過去の人類の仕事と言えば、肉体の動作を伴うものがほとんどでありました。もちろん、作曲家や絵描きのように芸術的な作品を作ることを仕事にする人たちもいましたが、仕事といえば肉体を動かすことが多かったように思います。 それが、産業革命以降、家畜以外の動力を手にした時点から仕事の形態が変わってきました。それは、人類が肉体的労働から解放される歴史でもありました。 その動きは、産業ロボットの出現や、人間に似せたロボットの出現により、ますます加速化されたと言っていいと思います。そして、今後もさらにその傾向が続くことが予想されます。 では、人間には何が残るのか。 それは、先ほど示したような芸術的な作品作りや、人間相手の交渉、会社の経営、研究開発、企画、教育などの仕事はこれからも無くならず残っていくと思われます。いや、さらにそれらが増えていくものと予想されます。 では、それらの仕事の共通点は何でしょうか。芸術的な作品作りでは、ひらめきのようなインスピレーションによるところもありますが、やはりそれは「考えること」ではないでしょうか。 考えるということは、それ自体創造的であることを意味しています。 つまり、考えることによって、その内容がどんどんと変化していくので、以前とは違った形が作られていくということでもあります。例えば、連想ゲームを例にとれば、ある命題に対して、それに関連することがどんどん出されていきます。当初では、思いもよらなかった展開になることも多いのです。 これは、ある命題がきっかけとなって、それを考えることにより色々なことがらが連鎖的に思い浮かべられたのです。この思い浮かべられたということは、もちろん想像の世界の中のことであって実体はありませんが、思い浮かべること自体が、実体になりうることを意味しています。 そもそも何も思い浮かべずに、それらが実体として現れることはありません。もし、それが偶然に現れたとするならば、それは偶然でも何でもなくて、自分以外の原因にて現されたということになります。 従って、考えるということは思うことであり、思うことは創造されることであるのです。 さて、理屈が多くなりましたので、ここで、本題の仕事について考えてみたいと思います。 先ほど示しましたように、人類の仕事は肉体的労働から考えることに重点が置かれるだろうということを述べましたが、実は、考えることが仕事になる時代がもうそこまでやってきています。朝、会社に出勤して仕事を始めますが、そのとき、書類の作成や整理などは、システムが自動的にやってくれるようになり、人間は、単純作業から解放されることになるでしょう。 もちろん、連絡をするなどのコミュニケーションに関わる仕事は残りますが、主に考えることが仕事になるでしょう。 では、「考える」という仕事をするために必要なこととは何でしょうか。それを、あげてみたいと思います。 1.まず、考えることが仕事だということを理解すること これは、仕事と言えば汗をかいて必死に体を動かして働くこと、という昔の考えから開放されることを意味しています。残業もしかりです。長く作業をしていれば仕事をしているのだというかつての理解から開放されなくてはなりません。 仕事とは、そこに価値が生み出されなくては意味がありません。長く作業をしていたとしても、そこに新たなる価値の創造がなければ意味がないのです。 ですから、一見、さぼっているように見える考えている姿が、実は、仕事の姿なのだという共通認識を皆が持つ必要があるのです。 2.次に情報集めです 考えると言っても、考えるための材料がなければ無理というものです。考える材料がなくても無念無想にはなれると思いますが、それ以上ではありません。ですから、考えるための材料集めが必要なのです。 これは、先ほど否定したところの肉体労働になる恐れがあるので、システムを駆使して効率よく情報を集めることが重要です。そうでなければ、情報を探し出す時間だけが経過していくことになります。 本を検索することや、関連するWebページを検索すること、新聞や雑誌を検索すること、人に聞くなど色々な手段を駆使して情報集めを行います。 ここでの情報集めの質によって、考えることが決まると言って過言ではありません。もちろん、情報が少なくてもひらめきに頼ることも出来ますが、それでは後でなぜそのような考えになったかを論理的に説明することはできません。 3.考える方法を知る 考えるということ自体は誰にでも出来ることですが、実は、各人にクセがあって、考えることに偏りが出てくるものです。例えば、考えて考えて答えを出して上司に報告したところ、上司にこういう場合はどうかと聞かれると、それは考えていませんということはよくあることです。 ですから、事前に考える方法を知っていれば、そのような事態を避けることができます。 当七の日コラムでは、考える方法として「四考法」を提案しています。この方法は、実は私自身が実践している方法ですが、さほど漏れもなく、色々な問題に対して適応できる考え方であると感じている方法でもあります。 4.そして、環境です 考えることで、あまり重視されないのが環境の問題です。健康の問題は誰でも思いつくのですが、環境の問題は盲点であると言えます。 高僧のように「心頭を滅却すれば火もまた涼し」と言った心境になれる人はいざ知らず、やはり、火は熱くて耐えられないし、騒音のところでは気が散るし、いいにおいのするところでははお腹が鳴るし、そのようなところでは考えることは無理だと言えます。 そこで、作家などはホテルに篭ったり、大きな案件をプロジェクトグループの皆で考えるときには、山奥の温泉などによく行きます。 しかしながら、このようなことをいつもしていては、経済的に持たないし、移動にも時間がかかってしまいまいます。 そこで、気軽に考えられる環境を手にすることが望まれるところです。 近年、そういう要望にこたえる先進的な企業も現れてきました。やがては、この需要は爆発的に高まっていくことは容易に想像できるところです。 では、また次回もお会いいたしましょう。(竹内) |
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