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    ●平成16年05月07日 問題を発見する能力

先回のコラムで、管理型の仕事に必要とされる項目の第2番目である「経験」について示しました。そこで、今回はその続きの3番目の項目である「問題を発見する能力」について述べたいと思います。

  3.問題を発見する能力

 さて、3番目の項目として問題を発見する能力を挙げましたが、ここで挙げた理由は、いくら知識と経験があっても、そもそも問題が発見できなければ、何の意味もないという理由から挙げさせていただきました。

 そこで、再度、問題とは何かと言いますと、それは理想と現実のギャップのことを言いいます。それでは、問題を発見するためにはどういうことが必要となるのでしょうか。それを少しここで考えてみたいと思います。

 (1) 理想を持っていること

 (2) 現実を見る目を持っていること

 (3) 問題を発見する能力を持っていること

 まず最初(1)の理想を持っていることですが、そもそも理想の状態が思い浮かばなければ現実とのギャップも生まれません。ですから、この理想を持つということは非常に重要です。このように説明しますと、当たり前のように思われるのですが、結構理想を持っていない人も多いのです。

 では、その理想を具体的に述べるとするならば、どのようなものがあるのでしょうか。その例を示したいと思います。

ア.
作業における目標値。
例えば、売上目標、生産目標、改善目標、経費削減目標など。
イ.
顧客と約束した内容など。
例えば納期、品質、アフターサービス、回答サービスなど。
ウ.
スケジュールや工程表。
例えば、開発線表などのようにいつまでに何を行うかの予定表など。
エ.
自己に関しての目標。
今月はこれだけのことをするという目標。今月はここに気をつけて生きようなど。

 ここで述べたことは、聞けばなるほどなと思うことばかりなのですが、これらを持たずに過ごしている人も多いものです。例えば、毎日、何の目標もなく行き当たりばったりに生きている人は、おそらく何が問題であるかも分からないでしょう。このような理想があるからこそ、問題を認識することができ、また、その問題を解決するための努力ということが発生するのだということなのです。

 さらに、この理想という言葉を、また違った言葉で述べるとするならば、本来の「あるべき姿」という言い方もできるかも知れません。ですから、本来のあるべき姿を思い浮かべることができる人は、また同時に問題意識も高いと言うことができるでしょう。

 次(2)に、現実がどのようになっているかを見る目が必要となります。例えば、経営者であっても数字を見ても何にも感じない人もいると聞いています。もし、売上額が、採算面でマイナスであるならば、これは大変です。どうしても、事業としてやっていくことはできなくなります。また、毎年、赤字決算でも何とも思わないとなったならばこれは大変なことです。

 その数字を見たならば、すぐさま手を打つ人、何も分からずに放っておく人など様々ですが、その差はどこからくるかと言いますと、その理由の一つとして、現実を見る目があるかということだと思います。

 ですから、経営者はよく現場を見なさいと言われますが、これも現実をしっかりと見なさいということを意味しています。たとえ立派な理想を持っていたとしても、現実を知らなければ問題になりようがないからです。

 従って、現実を見る目を常に持っていることが大切です。

 3番目に、問題を発見する能力を挙げました。理想を持ってと現実が見られればそれでいいかといえば、そうでもありません。それらは必要条件ですが、十分条件ではありません。なぜなら、理想を持って現実を知って、それらのギャップが分かったとしても、それを問題と感じるセンスがなければ、その後の行動は起こりません。

 最近、掃除ができない人が増えているようですが、その人たちの部屋をテレビの画像で見てみますと、ゴミの中に住んでいるのです。彼らは、ゴミの中に居ても気持ちが悪いと感じなくなっているのです。おそらく問題と感じる感覚がマヒしているのではないかと思いました。

 ですから、たとえ問題があったとしても、それに対して鈍感になってしまっては、せっかくの理想も現実を見る目も台無しになってしまいます。

 したがって、会社の中でも「おかしい」と思われることがあったら、それに対して「慣れる」のではなくて、新鮮な問題意識で対応することが大切です。

 よく新入社員の頃におかしいと感じたことが、1ヶ月、3ヶ月、半年、1年経つと、もうおかしいと思わなくなったということもあります。ですから、どのような環境にあっても問題を問題として発見し、そして認識し、それに対して解決していこうとする態度が必要だということだと思います。

 以上、今回は問題を発見する能力と題して述べさせていただきました。結論を言うならば、まず理想を持って、そして、現実を見る目を持ち、さらに、その両者を用いることによって問題を発見する能力を持つことが大切だということになるのではないでしょうか。

 それでは、次回も引き続いて、この続きを述べたいと思います。(竹内)

 

   ●平成16年05月17日 問題の原因をつきとめる能力

 

 先回のコラムでは、管理型の仕事に必要とされる項目の第3番目である「問題を発見する能力」について示しました。そこで、今回はその続きの4番目の項目である「問題の原因をつきとめる能力」について述べたいと思います。

  4.問題の原因をつきとめる能力

 問題を問題として認識できたならば、次に何を行えばいいのでしょうか。一連の問題解決のプロセスの中で、問題の発見の次にあるステップは、その原因をつきとめることです。

 なぜならば、この世の中の全ての事象は必ず原因と結果の連鎖にあります。原因があれば、必ず結果がありますし、結果が出ていれば、それを導いた原因が必ず存在します。これには、全く例外がないのです。

 これを、昔から原因と結果の法則、あるいは仏教的には縁起の理法(*1)と呼んでいます。

 ですから、現在問題が発生しているとするならば、必ずその原因が存在しているということを意味しています。従って、問題の原因を突き止める能力とは、言い換えれば次の事を持っている事とも言えます。

 (1) 科学的分析能力

 (2) 論理的思考能力

 (3) 原因と結果の知識

 まず科学的分析能力ですが、問題が発生したとき、その問題に関連する周りの状況を分析する能力のことを言います。多くの場合、問題は、単にそれが単独に発生するのではなく、様々な問題が関連し合って発生することが多くあります。

 従って、ある問題が発生したならば、その問題に関連する周辺の状況や、関連する事象などについて科学的な立場で分析する能力が必要となります。

 例えば、自動車が動かなくなったとします。問題としては、「自動車が動かない」ということですが、その周辺の状況がどのようになっているのかということを、科学的に分析していきます。

 例えば、ガソリンは入っているのか。バッテリーが上がっていないか。エンジンのセルモータへの電線が切れていないか。エンジンオイルが入っているのか。ラジエータに冷却水が入っているのか。などなど、自分の思い込みを排除して、白紙の目で、一つひとつ分析的に見ていきます。

 多くの場合、問題が発生しますと冷静さを失い、ただ「大変だあ〜」ということになってしまいます。故に、そのときにこそ科学的な目でもって、一つひとつの事象を分析することが大切です。

 よく、刑事もののドラマなどで、事件などがあったとき、鑑識の警察官の人たちが、指紋を採取したり、足跡を取ったり、床に落ちているゴミなどを集めて、犯人をつきとめる材料にしている場面が出てきますが、まさしく、科学的な分析が問題の解決にも必要とされるということなのです。

 このように、科学的に分析する能力が、問題の原因をつきとめる能力の第一にあげられます。

 それでは、その次に何が必要なのでしょうか。それは、分析された内容に対して、論理的に考える能力が必要とされるということです。論理的に考えるとは、「何々ならば何々になる」というように考える考え方であり、それは、「縁起を考えること」でもあります。

 先ほどの自動車の例では、ばらばらに収集された周辺の状況を、それらの関連を見抜き、つなぎあわす能力が必要となります。それは、つまり因果関係を考えることでもあります。

 もし、エンジンキーを回してもセルモータが回らないならば、その原因は、バッテリーが上がっているとか、電線が切れているとか、スパークプラグに電気を流しても放電しないとかなどがあげられます。

 エンジンキーを回したら、セルモータは回るが、エンジンがかからないならば、電気系統には問題がなく、ガソリン切れやキャブレターなどの燃料系統が原因であると考えていきます。

 そのように、関連する項目を分析したならば、次に、それらの関連について論理的に考える能力が必要とされます。

 しかしながら、それらの能力も原因と結果の知識があるからこそ使うことができる能力です。

 従って、第三番目に必要とされることは、原因と結果の知識を持つことです。

 例えば、自動車が動かないときは、原因として考えられる知識を、あらかじめ持っておく必要があると言うことです。

 自動車整備のベテランの人、有能な医者、会社を再建させられる経営者、人々の悩みに答えられる宗教者などは、問題解決のための原因と結果の、知識を多く持っておられる方だと言えることができるでしょう。

 勉強をして、また経験を積んできますと、この知識は蓄積されてきますが、もし、この知識が少ないならば、「マニュアル」などの書籍やコンピュータなどから手に入れることができます。

 いずれの方法を採るにせよ、知識がなければ原因を突き止めることはできませんので、問題解決のためには原因と結果の知識を持つということは、非常に重要です。

 余談になりますが、インターネットの世界では、このような知識を得ることがかなり容易にできるようになりました。

 例えば、自分が、今、多くの悩みの中にあるとします。そして、経済的にも困っているとします。そこで、これらの両者の関連を知りたいとします。

 でも、辞書を引いてもこれらのことは記述されていませんので。Googleで、「経済的な問題解決で悩み」をキーとして検索してみます。

 そうしますと、どうでしょう。その答えが、世界の何十億のサイトから選ばれて見つけられました。

 ですから、全ての原因と結果の知識を経験して覚える必要はなく、インターネットなどを利用して問題解決することも現代的問題解決の方法であるとも言えます。

 以上、今回は問題の原因をつきとめる能力と題して述べさせていただきました。やはり、ここでも「考える力」というものが非常に重要となることを感じられたのではないでしょうか。

 考える方法については、拙著の過去コラムにありますので参考にしていただければ幸いです。

 それでは、次回も引き続いて、この続きを述べたいと思います。(竹内)

(*1)『心の挑戦』第1章(幸福の科学出版)

 

   ●平成16年05月27日 問題の原因を取り除く能力

 

 先回のコラムでは、管理型の仕事に必要とされる項目の第4番目である「問題の原因をつきとめる能力」について示しました。そこで、今回はその続きの5番目の項目である「問題の原因を取り除く能力」について述べたいと思います。

  5.問題の原因を取り除く能力

 問題の原因が分かったならば、次に何を行えばいいのでしょうか。原因が分かったから良かったね、と言う訳にはいきません。次に必要となることは、当たり前のことですが、その原因を取り除いて問題の無い状態にすることが必要となります。

 例えば、今、赤ちゃんが泣いているとします。お腹がすいているのだろうか。おむつが濡れているのだろうか。それとも寒いのだろうか、と色々その原因を考える訳ですが、泣いている本当の原因を発見して取り除かなくては、赤ちゃんは泣き止みません。

 お腹がすいていないのに、ミルクをあげようとしても泣き止みません。そういうときは、意外とおむつのピンがささっていて泣いているということもあるのです。その場合、ささっているピンを取り除くことが問題の解決となります。このことを「ピンの発見」(*1)と言って、真の原因を発見することの大切さを説く象徴の言葉となっています。

 ですから、本当の原因の発見が極めて大切となりますが、原因を間違えますと、そのあとの作業が全て徒労になってしまうことがあるので怖いところがあります。

 さて、原因が発見できたならば、それを取り除く訳ですが、そのときに必要とされるものには何があるでしょうか。それを挙げてみたいと思います。

 (1) 技術

 (2) 精神

 (3) 仕組み(システム)

 問題の解決を行うためには、まず技術が必要です。もちろん、その背景には、知識や経験がある訳ですが、それらに裏打ちされた技術が必要です。

 例えば、自分が盲腸炎となって手術が必要になったとします。その場合、通常の人が手術をすることはできません。やはり、それなりの教育と技術訓練を受けた医者でなければ手術はできないのです。さらに、その医者でも、多くの手術(オペレーション)を経験した人が、治癒の高い能力を持っていると言えるでしょう。

 医学の世界のみならず、この高度に文明が発達した世の中では、問題解決のために専門家でなければ解決ができないということも多いでしょう。それほど問題の解決のために技術が必要とされる世の中なのです。

 コンピュータの世界も同じです。先般、大手銀行のオンラインシステムにトラブルがありましたが、その際、日本全国から銀行のオンラインシステムの専門家たちが、このトラブル解決のために、現在の仕事を止めてでも集められたということは、記憶に新しいところです。

 その技術の差ですが、それは何百、何千倍ということもあり得ます。例えば、先ほどのコンピュータシステムのトラブル解決では、ある技術者だと10日かかるところを、ある優秀な技術者ならば、1時間ぐらいで終わることもあります。

 人間の成人の筋力の差は、高々数倍ぐらいと考えていいと思いますが、技術の差は、それこそ何百、何千倍ということもあり得るのです。

 ですから、昔から問題が起こったときには、その専門家を呼んで来いとよく言われているのです。最近では会社再建の専門家がクローズアップされていますが、この人たちの技術の差は何千倍というものではなく、不可能なことを可能にできる人たちですから、それこそ無限大倍であると言うことになります。

 次に、必要なものとして精神があげられます。

 問題解決のための技術があっても、精神性がなければ、その技術も台無しとなります。言葉を変えれば、その精神とは熱意であるということもできます。何とかして、病気を治したい、問題を解決してあげたいと思う心が問題解決を推し進めるのです。

 では、この熱意はどこから生まれるのでしょうか。お金。それもあるでしょう。名誉。それもあるでしょう。人々からの賞賛。それもあるでしょう。

 しかしながら、やはりその熱意なるものは、人々に対する愛の心だと言えると思います。

 坂本龍馬は、日本の維新のために自分の命を捧げました。これもある意味で問題解決の熱意の表れだったのではないかと思います。日本はそれまで鎖国をしていました。ところが黒船がやって来て、眠りを覚まされた訳で、そのままで放っておいたならば、他のアジアの国々と同じように、西洋の植民地となるところでした。

 それを龍馬は見抜いて、西洋の属国とならないように、日本の大変革を為したのです。

 ここに大きな愛の心があったのではないかと思います。人々の幸福のために、そして、国の未来のために偉大なる仕事をしたといえます。この愛の心は、問題解決ための熱意となったとも言えるでしょう。

 次に、仕組み(システム)が必要となります。これについては、次回に述べさせていたきたいと存知ます。

(*1)『悟りの原理』P.164〜(幸福の科学出版)

 

   ●平成16年06月07日 問題を取り除くための仕組み(システム)

 

 先回のコラムでは、管理型の仕事に必要とされる項目の第5番目である「問題の原因を取り除く能力」について示しました。その中で、問題の原因を取り除くためには、技術と精神が必要であること述べました。そこで、今回は、その続きである仕組み(システム)創りについて述べたいと思います。

  6.問題を取り除くための仕組み(システム)

 問題が発生してそれを取り除くためには、それ相応の技術がなければなりません。また、熱意がなければなりません。しかしながら、それだけではだめで、今度は学習能力を高めることによって得られた仕組み創りが必要とされます。

 例えば、会社に泥棒が入ったとします。その原因が会社に誰もいなかったからということなれば、これからは毎日見張り役の社員を置けばいいと言うことになります。

 もちろん、それによって泥棒の被害は、今後出なくなるとは思いますが、毎日、夜勤の社員を置くということは、社員は疲れますし、また、会社としても夜勤手当などの費用もかかることになります。

 ですから、問題が発生したときには、もちろん応急手当的に緊急プロジェクトを立ち上げて、その問題を取り除くことを最優先に行いますが、その緊急的な体制が長く続くとするならば、これはまた、別の意味で問題が発生することになりかねません。

 従って、そのときに必要なことは、その問題を効率よく長期にわたって解決してくれるような仕組み創りであることを意味しています。つまり、問題が発生したときには、次の問題解決のためのプロセスが必要だということになります。

   問題の発生  
      ↓  
   原因の究明  
      ↓  
   原因の取り除き  
      ↓  
   緊急の現状復帰  
      ↓  
   同様の問題解決が容易になされる仕組み創り
      ↓  
   通常の運用  

 もちろん、今発生した問題を、早期に取り除いて問題のない状況に復帰させることは重要だし、それが最優先になされなければならないことは当然のことですが、そのたびに他の業務の止めて、その問題だけに対処するようであるならば、おそらく、その組織は本来の機能を果たすことは難しくなるでしょう。つまり、簡単に言うならば、会社なら倒産してしまうことでしょう。

 そのようにならないために、仕組みが必要なのです。また、この仕組みのことをシステムと呼ぶこともできます。

 先ほどの会社に泥棒が入られた例では、会社の出入り口などに防犯センサーを設置し、不審者の侵入があれば、警報を鳴らすとともに警備会社から駆けつけてもらうという仕組み創りが考えられます。

 また、銀行のオンラインシステムのトラブルの例では、そのときに全国からその専門家が集められましたが、その緊急体制をその後も保持しておくのではなくて、プログラム内に色々なチェックを組み込んでおき、もし、異常が検出されたならば、どの部分がどのように異常なのかをリポートさせ、そのリポートによって、どのような手を打てばよいかということが分かるような仕組み創りをしておけばいいと言うことになります。

 ですから、よく問題が発生して、それが解決されたならばそれで終わり、ということが見受けられますが、実はそれが、仕組み創りの始まりであると思わなければいけないということなのです。

 火事の例で言うならば、火事が起こりました、消防車が来ました、素早い消火活動によって鎮火しました、それで終わりました、ではいけないということなのです。

 もう二度と火事にならないような仕組み作りが必要だということなのです。例えば、火を検知したならば、警報を鳴らし、消防署に連絡をし、また同時にスクリンプラーを自動的に作動させ、水を噴出させて消火をすることが大切だということなのです。

 実は、これが学習能力といわれるものでもあります。何か問題が発生したならば、そこから教訓を学び取り、その都度賢くなっていくことが必要なのです。

 そして、その教訓を仕組みへと具体化させることこそが、実は進歩と言われるものだと思います。

 企業が成長するためには、この仕組み創りのところが極めて大切です。問題が起きるたびに社員が一丸となって解決することは頼もしいことですが、今後も同様の問題が起るたびに大騒ぎをして解決をしていたのでは、進歩がありません。

 やはり、企業が進歩するためには、その都度、賢くなっていくことこそが大切であろうかと思います。

 これは、企業だけに言われるものではなく個人についても、仕組み創りが必要かと思います。もし、上司からあなたは物忘れが多いと言われたならば、メモ帳を用意するなり、あるいは、今、はやりの付箋などにメモを書いて、パソコンの画面に貼り付けるなど、新兵器を使うような仕組み創りをすることが必要だということです。

 以上、問題を取り除くための仕組み創りについて、述べさせていただきました。これをお読みになり、当たり前のことだと思われた方も多いのではないかと思います。でも、この当たり前と思われていることが、あまり行われていないのも事実であります。

 その原因は、自分はそんな仕組みを持たなくても分かっているから大丈夫だ、と思う「慢心」(*1)にあるのではないでしょうか。

 その慢心を無くさないことには、個人においても企業においても決して進歩はないと言えるでしょう。

 では、次回もこの続きについて述べさせていただきます。(竹内)

(*1)『悟りの挑戦(上)』第2章P.89〜(幸福の科学出版)

 

   ●平成16年06月17日 問題解決に対する強い念い

 

 先回のコラムでは、管理型の仕事に必要とされる項目の第6番目である「問題を取り除くための仕組み(システム)」について示しました。そこで、いよいよ管理型の仕事に必要とされる最後の項目である「問題解決に対する強い念い」について述べたいと思います。

  7.問題解決に対する強い念い

 今まで、この一連シリーズで管理型の仕事について過去6回述べて参りました。ここで再度、その項目を確認しますと、次のようになります。(各項目をクリックしますと、該当コラムが出ます。)

 (1)知識

 (2)経験

 (3)問題を発見する能力

 (4)問題の原因をつきとめる能力

 (5)問題の原因を取り除く能力

 (6)問題を取り除くための仕組み(システム)

 そして、今回がその最後の項目である「(7)問題解決に対する強い念い」である訳です。

 今まで述べてきた(1)〜(6)番までの内容は、どちらかと言えば問題解決のための技術論的な内容でありました。つまり、問題を解決するための必要な技術的能力や仕組みであった訳です。すなわち、これらの項目を持ち合わせているならば、一応問題解決ができる状態になるということでもあります。

 しかしながら、これらの技術的な能力を誰もが持ち合わせていたとしても、個人によって差が出てくることも事実であります。ではなぜ、技術が同じなのに差が出てくるのでしょうか。それが今回のテーマである「念い」に関係することなのです。

 人間の行動というものは、その行動の原因となるものが必ずあります。では、その原因とは一体何なのでしょうか。実は、これが念うことと言われているのです。

 聖書にも「はじめに言葉ありき」とあります。つまり、別の表現をすれば、「はじめに念いありき」となるでしょう。そのように行動には、その前にこれをしようという念いが必ずあります。

 例えば、書店に行く、スパーマーケットに行く、図書館に行くなどの行動の前に、必ず「行こう」と言う念いがあったはずです。行こうと思わなければ、その後の行動もありません。

 従って、その人が夢遊病者で無い限り、行動の前には必ず念いがあるということであり、これは事実であります。

 そして、その念いについても、さらに強弱があると考えられます。

 例えば、行動するときの念いとして、次のようなレベルが考えられます。

 (1)これをしたいな

 (2)これをしょうかな

 (3)これをしよう

 (4)必ずこれをしよう

 (5)何があってもこれをしなければならない

 この例だと、(1)番、(2)番は、行動にならないこともあります。そして、(3)番から(5)番は、行動を伴うことになると思われますが、(5)番になりますと、余程のことが無い限り行動が中断することはありません。

 要は、たとえそれが出来る技術があったとしても、それを行うと言う強い念いがなければ、途中で中断してしまうこともあるということなのです。

 従って、問題を解決するということも同じで、それを成し遂げるのだと言う強い念いがあって初めて、完成されるということなのです。

 私も、過去に数えきれないくらいの多くの問題に遭遇いたしました。そして、そのときに得られた教訓は次のようなものでした。

ネバーギブアップ。何事もあきらめてはならない。人事を尽くせば、必ず道は開ける。  
「つぶやく者の恋は成就しない」(*1)ということわざがあるように、行動するときは、有言実行で、しかも強く言葉に出して行動すること。  
努力は必ず報いられるという「縁起の法」(*2)を信じきること。  

 途中で投げ出してしまう人は、何事も成功しません。たとえその人が有能な人であっても、この法則が働いています。成功というものは、金鉱を堀り当てるようなところがあって、失敗する人は、例えば、深さ30mに金鉱があっても、29m90cmで掘るのを止めてしまっているような人なのです。

 成功という金鉱が全ての人に与えられているのだけれども、それを掘り当てる前にあきらめてしまう人が多いということでしょうか。

 それはあたかも、全ての人に仏性が宿っている(*3)のだけれども、それに気づかずに過ごしている人が多いということに似ていると思います。

 それを成就させるためには、技術」と「強い念い」の両者がなければならいということだと思います。それは、あたかも物が燃えるときに、燃える物と酸素がなければ燃えないように、どちらか一方だけがあっても成就しないことに似ているように思います。

 人間は、どうしても複数のものがあると迷ってしまうところがあり、どちらかだけ一方だけを取りたくなりますが、実は、この世界は、複数のものが集まって初めて機能することが少なくないということではないかと思います。

 以上、管理型の仕事に必要な項目の全てについて述べて参りましたが、次回は、その他の仕事について述べたいと思います。

(*1)『繁栄の法則』P.109〜(幸福の科学出版);(*2)『心の挑戦』第一章(同);(*3)『大悟の法』P.229〜(同)

 

   ●平成16年06月27日 仕事と作業とは違う

 

 先回のコラムでは、管理型の仕事に必要とされる最後の項目である「問題解決に対する強い念い」について示しました。これで、創造型の仕事、管理型の仕事についての全ての説明が終わった訳ですが、では、単純作業のような仕事は、どこに分類されるのだろうか、と思われる方もおられるのではないかと思います。

 そうです。今までの説明の中では、作業レベルでの仕事は、仕事と言う範疇には入れなかったのです。つまり、作業は仕事ではないと定義した訳です。

 従って、もし、作業も仕事の一種であるとするならば、広義の仕事の分類は、次のように示されるではないかと思います。

 従来では、単に仕事といいますと、この図のように作業も含んだ意味で使われることが多かった訳ですが、今後は、仕事と作業とは明確に区別されていくことが予想されます。

 では、作業とは、どういうことを言うのでしょうか。それを考えてみたいと思います。

 実は、作業とは、他の人にでも簡単に代わって行ってもらえるような作業のことを言います。例えば、チャップリンのモダンタイムスの映画に出てきたような、ベルトコンベアに流れてきた製品のボルトを締めるような作業があります。あるいは、つるはしを持って地面に穴を掘るような作業があります。

 これらの作業の共通しているところは、作業する人の能力にさほど関連なく、誰にでもできるものであるということにあります。また、ほとんどの場合、働いた時間の長さに従って給料がもらえるという共通点もあります。

 従って、作曲家や絵を描く人のように、その成果に対して対価が払われるのではなく、働いた時間に対して給料が支払われるので、個人の能力の差や、やる気や頑張りについては考慮がなされないことになります。

 この作業は、別名レイバーとも呼ばれ、過去においては重要視された時代もありましたが、将来においては、限りなくなくなっていくことが予想されます。

 なぜなら、そのような作業は、今後もどんどんと機械に取って代わられることになるからです。つまり、そのような肉体的単純労働は、簡単に機械に移していくことができるからです。

 例えば、自動車工場を見てもいいでしょう。製造ラインで順次運ばれてきた製品となるべき自動車を、組み立てロボットや溶接ロボットが取り囲み、それこそ人間が行うよりも正確に作業を行ってくれるのです。

 しかも、ロボットだと熟練や未熟練の区別や個人による作業などのむらがなく、全てを均一に作業を行ってもらえます。

 それに加えて、ロボットには賃金ではなく、リース代を支払うだけでよくなりますので、経済的にも桁違いに有利となっているからです。

 従って、今後、このような作業レベルの仕事は、人間の仕事から限りなく姿を消すことになり、その反面、人間しかできない仕事に仕事のウエイトが移っていくことになります。

 そして、その仕事も、大きく分けて創造型の仕事と管理型の仕事の2つに大別されますが、その中でも、今後は創造型の仕事にウエイトが移っていくものと予想されます。

 なぜなら、創造性こそが人間が持っているところの優れた能力だからです。たとえどれだけの文明文化が進歩したとしても、創造型の仕事を機械が行うことができないからです。

 レオナルド・ダ・ビンチのモナリザの絵や、ゴッホのひまわりの絵を機械が描くことができるでしょか。バッハやモーツアルトの曲を機械が作曲できるでしょうか。あるいは、斬新的な発明を機械ができるでしょうか。

 これらを考えますと、今後人類は、創造型の仕事や管理型の仕事に対する能力を磨いていくことこそが、仕事ができる人間の条件であると言うことが出来るのではないでしょうか。

 それでは、次回もまたお会いいたしましょう。(竹内)