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    ●平成15年10月07日 考えるための方法(3)【理由】

 先回のコラムでは、考えるための方法(2)と題して、4つの側面から考える方法についてご紹介させていただきました。その4つには、「本質」「理由」「目的」「縁起」の側面(「四考法」)があることを述べ、まず物事や行為の本質を考える方法について述べさせていただきました。

 そこで今回は、その第2の「理由」を考える方法について述べたいと思います。

2.理由を考える

 理由を考えるとは、物事に対しては、なぜそれがあるのか、なぜそれが必要なのかを考えることです。また、行為に対しては、なぜそれをするのか、なぜそれをすることが必要なのかを考えることです。それでは、例をあげて考えてみたいと思います。まず物事の例から示します。

(1)設問1 「自動車」

 まず、自動車についてその存在理由を考えてみたいと思います。それは、なぜ自動車があるのか、なぜ自動車が必要なのかを考えることです。

 

・自動車は、鉄道と違って、線路がないところを自由に走ることができるので、その存在に意味がある。

・自転車だと一人しか乗れないが、自動車は多くの人が乗って移動することができるので、その存在に意味がある。

・自転車や、バイクでは雨が降ると濡れてしまうが、自動車は雨の日でも濡れないので、その存在に意味がある。

・自動車は、人間だけではなく、重い荷物も運ぶこともできるので、その存在に意味がある。そして、それがさらに進化した姿がトラックであり、現在、人間を乗せる乗用車と同程度に存在する。

・自動車は、自由にどこにでも行くことができるので、その中に寝泊りする機能を加えればキャンピングカーとなり、山や海にキャンプに行くことができる。

・自動車は、高価であればあるほど、乗っている人の経済的ステータスを上げるので、その存在に意味がある。だから、自分のステータスを上げるために人は高価な自動車を持とうとする。

 というように、なぜそれが存在するのか、なぜそれが必要なのか、その存在の意味は何なのかを考えます。そうしますと、それが存在するための理由が見えてきます。

 もし、その理由が見つからなければ、その存在に意味がなくなったということであり、やがては消えていく運命にあることになります。

 かつては、鉄道の全盛時代がありました。しかしながら、現在では、線路や車体の保守に莫大なお金がかかり、コスト的な面と、利便さで自動車と太刀打ちできなくなって、消えていった鉄道が多くあります。

 そのことは、存在する理由がなくなったからであると言えるでしょう。

 ですから、ものごとの存在理由を考えることは極めて重要なことです。もし、その理由が見当たらなかったら、消えるしかないからです。

 現在、各種公団が、民営化の方向にありますが、それも、それらがそのまま国が運営する形態で存在する理由がなくなってきたから、と言ってもいいと思います。

 これは法則なので、法則に抵抗しても無理なことなのです。このことは、歴史が証明していることなのです。

(2)設問2 「販売」

 次に、行為の理由を考える例をあげてみたいと思います。例えば、「販売」を考えてみたいと思います。販売という行為をなぜするのか、なぜする必要があるのかを考えてみます。

 

・企業が物を作って置いておくだけでは、それが現金になることはない。販売という行為によって、物を現金化することが出来、企業は利益を得ることができる。

・販売は、企業と顧客を結ぶ手段であり、それによって、物の流れが、お金と言う形で還流され、システムとして成り立つことになる。

・顧客は、どの企業からも自由に自分の好きな製品を購入することができる。従って、販売力のある企業が、より多くの自社製品を顧客に売ることができるので、販売と言う行為は重要である。

・多くの企業が同程度の製品を作っているとするならば、差別化できるのは、それ以外のところであり、その中でもとりわけ販売は重要な位置を占めている。

・販売という行為は、簡単そうに見えるが、実は非常に難しいものでもある。従って、日々研究に研究を重ね、さらにその力を強くしていく必要がある。

・販売という行為は、製造がいかに自動化されたとしても最後まで人間に残るものである。しかも、この行為は人間の交渉力を磨いてくれるものであるため、自分の交渉能力を高める有効な手段でもある。

 以上のように、販売という行為をなぜするのか、なぜする必要があるのか、ということを考えてみました。もちろん、これだけではなく、数え切れないくらいの理由があると思います。

 要は、なぜこれをするのか、なぜする必要があるのかということを考えることが重要なのです。

 以上、自動車がなぜあるのかという理由と、販売をなぜするのかという理由について考えてみました。

 自動車や販売と言う行為は、毎日接しているものであるが故に、あまりその存在理由を考えていなかったというのが現状ではないでしょうか。いや、そんなこと考えてもみなかったという方もおられることと思います。

 何事も、理由があるからこそ、その存在に意味があるのです。

 でも、その理由は、時代や地域、さらに人々が変わるとその内容も変わってくるものです。ですから、現在自分では当然と思っていたことが、時代が変わると、その存在意味がなくなるということも多くあります。

  最後に、設問の例には出しませんでしたが、自分や会社の存在理由を考えていただきたいと思います。もし、自分や会社の存在理由がなくなって、人々から必要とされなくなったら、これは恐いことです。

 こんなこと考えたくもないと言われる方もおられるかと思いますが、ここで改めて、その存在理由を考え、その内容によって、これからの自分の、そして、会社のあるべき姿を再設計することも重要なことではないでしょうか。

 そのためにも、5分でも10分でもいいですから、これをテーマに考えていただければと思います。

 では、また次回も考える方法の続きについて述べさせていただきます。(竹内)

 

   ●平成15年10月17日 考えるための方法(4)【目的】

 先回のコラムでは、考えるための方法(3)と題して、考えるための第二の側面である「理由を考える」ということについて述べさせていただきました。つまり、なぜこれがあるのかという存在の理由と、なぜそれをするのかという行為の理由を考えることについて述べさせていただきました。

 そこで今回は、その第3の側面である「目的」を考えると言うことについて述べたいと思います。

3.目的を考える

 目的を考えるということは非常に重要です。なぜなら、目的が間違っていたならば、それまでの努力が全て水の泡となるからです。実は、水の泡となるどころか、全てが逆効果になることも少なくありません。

 例えば、東京から大阪に行こうと思って、やっとの思いで新幹線に乗って降りた駅が仙台だったということもありうるのです。つまり、目的が間違っていると、かえってやらなかったほうがましだったということになりかねません。これを努力逆転という言葉で表現することもあります。

 そこで、今回も前回と同じ設問を使って、その目的が何なのか考えていきたいと思います。

 (1)設問1 「自動車」

 まず、自動車についてその存在の目的を考えてみたいと思います。つまりそれは、何のために自動車があるのかを考えることです。

 

・自動車は、鉄道と違って線路のないところでも、道さえあれば自由なところに人間を運ぶためにある。

・自動車は、電車やバスと違って、少人数の仲間や家族単位で移動するためにある。

・自転車やバイクでは雨が降ると、乗っている人は濡れてしまうが、自動車は濡れないで移動するためにある。

・自動車は、人間だけではなく荷物をも運ぶためにある。それが進化した姿がトラックであり、トラックは、もっぱら荷物を運ぶために使われる。

・自動車は、より早く走るためにある。それが特化した自動車は、レーシングカーと呼ばれ、もっぱらスピードを競う競技のために利用される。

・自動車は、高価であればあるほど、乗っている人の経済的ステータスが上がるので、自分の存在を人々によく見せるためにある。

 以上のように、自動車が存在する目的について考えてみました。自動車一つとっても色々な目的があることがよく分りました。

 ですから、自分は自動車を何のために使うのかを明確にして利用することが必要となります。重くて多くの荷物を運ぶためにレーシングカーを購入したならば、それらを運ぶことはできません。

 逆に、自動車の競技レースに、トラックを使うこともできません。

 そして、もし、自動車を利用する目的が、自由に人々や荷物を運ぶということだけならば、何も車輪が必要ということはありません。その目的を果たすためならば、自動車はどのような形でも良い訳です。

 従って、将来、自動車は、車輪を持たず、空中を飛ぶような自動車も出現することが予想されます。そう言えば、バックツーザフューチャの映画で出てきた自動車は、空中を飛んでいました。

 要は、目的を明確にすることが大切で、その目的に注目し、その目的を果たすようにそこに焦点を合わしていくことが大切なのです。

(2)設問2 「販売」

 次に、行為の目的を考える例として、前回と同じ「販売」について考えてみたいと思います。つまり、何のために販売という行為をするのか、ということを考えることです。

 

・企業が物を作って置いておくだけでは、それが現金になることはない。製造された製品を現金化するために販売という行為がなされる。

・企業と顧客を結びために、販売という行為がなされる。

・顧客は、どの企業からも自由に自分の好きな製品を購入することができる。従って、顧客からできるだけ自分の会社の製品を買ってもらうために販売という行為がなされる。

・販売は、単に製品を現金化するためだけでなく、顧客に満足を与えるためにもある。

・販売という行為は、その会社の力を示すものであるが故に、会社を強くするために為される。

・販売という行為は、製造がいかに自動化されたとしても最後まで人間に残るものである。しかも、この行為は人間の交渉力を磨いてくれるものであるが故に、自分の交渉能力を高めるために販売という行為がなされる。

 以上のように、何のために販売という行為をなすのか、ということを考えてみました。

 存在の目的も行為の目的も、ある共通点を持っています。それは考えなければ分らないということです。

 何のためにあるのか、何のためにこれをするのか、これを考えることが大切なのです。

 そして、その目的を知っている人が、より大きな仕事をしていくことができる人であると言えるでしょう。

 P.F.ドラッカーの書籍にありましたが、ある石工にあなたは何をしているのですかと聞いたところ、「私はレンガを積んでいるのです」と答えた人、「私は、壁を作っているのです」と答えた人、「私は教会を建てているのです」と答えた人と、さまざまだったそうです。

 しかしながら、その認識によって、まったく仕事の内容が変わってきます。レンガを積んでいると思っている人は、単に積みあがればいいと思って、デコボコに積むかも知れません。また、壁を作っている人には、その壁がどういう建物の壁になるかは分らないので、教会の壁を酒屋の壁のようにするかも知れません。

 ですから、自分は何のためにこれをしているのか、その目的を知ることによってその仕事が変わってくるはずです。それを知らなければ、よい仕事はできないということになるのです。

 また、手段が目的になることも多くあります。例えば、何のために働くのか、その答えとして、ある人は生活するために働くのだと言います。また、ある人は、出世のためといいます。また、ある人は、仕事によって自分を磨くためといいます。また、ある人は、仕事をして、多くの人々を幸福にするためといいます。

 このように、仕事一つとっても、捉え方によって目的がさまざまに異なってきます。ある目的から見れば当然手段となるべきことが、目的となっている人もいます。

 そのような人は、自分で自分の可能性を小さくして、結果的に自分の器を小さくしてしまっています。

 従って、この目的を考えるということは、極めて大切なことであります。

 事業の目的とは何か、ドラッカーが明確に定義するまで人々は、利益を得ることが事業の目的としていました。しかしながら、利益を得ることも単なる手段であり、事業の目的は「顧客の創造」にあるのです。これを導き出すためには、考え抜くという努力が必要でしょう。

 修行もそうです。何のために修行するのか。なぜ座禅するのか。座ることが目的なのか。それを考えることが大切になります。

 その答えは、戒・定・慧の三学の教えのとおり、智慧を得るために修行があるということなのです。そこのところを間違えますと、努力逆転となってしまうのです。

 以上、2つの設問を通して、目的について考えてみました。是非とも皆様も、自分の身近なことで結構ですから、その目的につて考えていただければ幸いです。

 では、また次回も考える方法の続きについて述べさせていただきます。(竹内)

 

   ●平成15年10月27日 考えるための方法(5)【縁起】

 先回のコラムでは、考えるための方法(4)と題して、考えるための第三の側面である「目的を考える」ということについて述べさせていただきました。つまり、何のためにこれがあるのか、という存在の理由と、何のためにそれをするのか、という行為の目的を考えることについて述べさせていただきました。

 そこで今回は、その第4の側面である「縁起」を考えると言うことについて述べたいと思います。

4.縁起を考える

 縁起とは、「すべてのものには原因と結果がある。その原因と結果の連鎖によって世界が展開している」という、ものの考え方です(*1)。すなわち、この世界にありとあらゆるものは、偶然に存在したり、あるいは起きたりする訳ではなく、その原因となるもの(事象)が必ずあるのだ、という考え方です。

 ですから、縁起を考えるとは、それが他からどう影響を受け、また影響を与えているかという「空間縁起」(*2)と、それがどの様な経緯で生じたのか、あるいは、この先どのように展開していくのかという「時間縁起」(*2)を考えることでもあります。

 しかしながら、ここでは、それがその先どのように展開していくのか、ということに絞って考えていきたいと思います。

 そこで、先回と同じ例に対して、それを考えて参ります。

(1)設問1 「自動車」

 まず、自動車について、その後の展開を考えてみたいと思います。それは、自動車があると、その後世界はどうなっていくのか、ということを考えることでもあります。

 

・自動車は、鉄道と違って、線路がないところを自由に走ることができるので、社会に対して流通革命を起こし、経済も活発化していくだろう。

・自動車があることによって、気軽に色々なところに移動できるので、自分の人生の行動範囲が広がるだろう。また、レジャーの内容も変わり、鉄道やバスの行けないところまで、観光スポットとなるだろう。

・自動車が多く出回ることによって、それに関連した新しい産業が生まれるだろう。例えば、高速道路の建設事業や、鉄鋼やガソリンなどの産業、そしてITなどのエレクトロニクス産業があげられる。

・自動車が増えることは、いいところだけでなく、交通事故によって亡くなる人が増えて、社会問題を引き起こすだろう。

・また、自動車が増えることによって、排気ガスが増え、それが光化学スモッグを発生させたり、あるいは、住民に喘息の病気を発生させたりして、それがまた社会問題となるだろう。

・さらに、自動車を多用する生活になると、人々は運動不足になり、健康問題が起きるだろう。

 というように、それが存在することによって、今後自分や会社はどうなるのか、また、どう変化していくのかを考えます。そうしますと、その存在によってもたらされる未来が見えてきます。

 自動車がもたらす利点だけでなく、交通事故増大の問題や公害問題は、縁起によって考えれば、いとも簡単に想像することができるのです。もし、それが起きたときに初めて気がついたということならば、事前に考えていなかった証拠であります。

 昨今、世界のいたるところで異常気象現象が現われているということも、偶然ではありません。それには必ず原因があります。世界の平均気温が年々上がり、北極や南極の万年氷が融けているのも炭酸ガスが原因であるということが分っています。

 つまり、自動車が発明されて時点で、もし、その自動車が世界に溢れ返ったならば、世界がどうなるかは分っていたことなのです。

 つまり、それが今起きてないので、考えなくていいということではなくて、確実にやってくる未来に対して、それがどうなっていくかを考えることが大切なのです。

(2)設問2 「販売」

 次に、行為の縁起を「販売」という例によって考えてみたいと思います。つまり、販売という行為をしたらどうなるかを考えることです。

 

・企業が物を作って置いておくだけでは、それが現金になることはない。販売を縁として、企業は物を現金化することが出来、利益を得ることができる。つまり、売れなければ利益は出ないという簡単なことだ。

・販売をすることによって、企業は顧客との接点を得ることになる。商品が縁となって、アフターサービスや今後のリピート販売のチャンスが得られる。従って、商品の内容は重要である。

・企業は、販売力を強化すればするほど、多くの自社製品を顧客に売ることができる。従って、販売という行為の度合いによって、企業の業績が左右される。

・もし、悪い製品を世の中に販売したならば、買った顧客からクレームが寄せられる。その時点で販売できたとしても、必ず製品に対して責任をとらなければならない。

・各製品の販売量を見ることによって、今後の販売の傾向をつかむことができる。従って、企業の生産計画はその結果よって見直していく必要がある。

・販売という行為を通して、人間の交渉力が磨かれていく。従って、販売と言う行為は、交渉力を高めるよい機会である。

 以上のように、販売という行為をしたらどうなるのか、ということを少し考えてみました。縁起という考え方は、ある行為を為したなら、必ずそれを原因とした結果が現れるという考え方です。これは必ず起こることなので、これを昧(くら)ますことはできないのです。

 さらに、身近な例で考えてみますと。

 ・お酒を飲みすぎると、次の日は二日酔いになって苦しい。

 ・寒い日に、薄着で外出すれば風邪をひく。

 ・サラ金などでお金を借りたならば、返済に苦しくなる。

 ・浮気をしたら、それが原因で家庭が破壊される。

 ・人をだませば、必ず、その報いを受ける。

  などなど身近な問題として、多くがあげられます。結局、悪いことをすれば、必ず悪い結果が現れる(悪因悪果)、善いことをすれば、必ず善い結果が現れる(善因善果)、という法則の展開でもあります。

 しかしながら、当然、これをしたらこうなるのに、それが分らなくて、他人が考えると理解に苦しむことをする人が多いのも事実です。

 連日新聞には、そのような話題でいっぱいです。エリートの人たちや学校の先生のセクハラの問題や、万引きの問題、うまい話で騙される詐欺の問題など、少し考えれば分りそうなのに、と思われる問題が多すぎるのではないでしょうか。

 それは、やはり考えるということをしていないということと、どうしても、自分の欲に理性が負けてしまうところにあるように思われます。

 これらを考えることを論理思考と言って、これからの時代において、ますます重要になってくることが予想されます。従来、頭がいいと言う人は、記憶力のいい人のことを言いました。

 なぜなら、学校の勉強が記憶力が良ければいい点数を取れるようになっていたからです。しかしながら、今、世の中で高学歴で、有名大学出身のエリートたちが問題を起こして、あれだけ頭がいい人たちが、小学生にも分るような問題をなぜ起こすのか理解に苦しむことがありますが、記憶力はあっても考える力がなかったからということではないかと思います。

 従って、これからは考える力を重視するような教育になっていくものと予想されます。

 企業の中でも、先般色々と社会問題を起こした有名企業がありましたが、考える力というものが従業員に強く求められる時代になっていくのではないかと思います。

 以上、縁起を考えるということについて述べさせていただきました。 

 私たちの廻りには、考える素材であふれています。どれでもいいですから、これをしたらどうなるかを5分でも10分でもいいですから考えていただければ幸いです。

 では、次回は、この考える方法を使って、いくつかの事例でもって実際に考えてみたいと思います。(竹内)

(*1)『心の挑戦』P.26(幸福の科学出版);(*2)『悟りの挑戦』第4章「空と救済」(同)

   ●平成15年11月07日 考えるための方法(実例その1)

 先回のコラムでは、考えるための方法(5)と題して、考えるための第四の側面である「縁起を考える」ということについて述べさせていただきました。つまり、それがあればその後どのような展開になるのか、あるいは、それをするとその後どのように展開していくのか、ということを考えることについて述べさせていただきました。

 これまでに、四つの側面である「本質」「理由」「目的」「縁起」(「四考法」)を考えて参りました。

 世の中に考える方法は、やはりあるもので、企業などではその方法を用いて研修を盛んに実施しています。

 その方法の中で、有名なものにはKJ法NM法5W1Hあるいは5W2H法などがありますが、やはり、ものごとを考えると言っても、ただ漠然と考えるのではなくて、体系立った方法が必要であることを示しているのではないかと思います。詳しくは、そのところをクリックしていただくと、関連のページを見ることができます。(インターネットって便利ですね)

 野球、スキー、水泳、サッカーなどのスポーツも同じです。上達するには、そのための方法があります。基礎的な訓練から始まって、どのように鍛えていくかの方法が必ず存在します。考えることにおいても同じということなのです。

 そこで今回は、今までに述べて参りました四つの側面を用いて、実際にものごとを考えてみたいと思います。そのテーマですが、まず身近なテーマから初めて、禅問答のような抽象的なテーマまで考えて参りたいと思います。

 テーマ 【働くこと】 

 それでは、まず最初に、「働くこと」について、四つの側面から考えてみたいと思います。これは主にその行為について考えることになります。

1.「本質」を考える

 では、まず働くこととは一体何なのかを考えてみたいと思います。

 

・働くということは、仕事をするということだ。

・働くということは、休止している状態ではなく、ある目的のために体や頭を動かすことである。

・働くということは、自分の我がままを抑え、会社や組織が望むような作業をすることである。

・働くということは、そこに何らかの創造(物品や考え、文章、絵、音楽などが創られること)が伴うものである。

・働くということは、それをすることによって対価が得られるものである。

・働くということは、一人で働くこともあるが、大勢の人たちと関係して働くことが多い。

・働くということは、「はたが楽になる」という意味もあり、他人が楽になることでもある。

・働くということは、肉体的労働から始まって、研究開発のような頭脳労働まで、色々な形態がある。

・働くということは、基本的に人間はそれが好きなように創られている。

・働くということは、自分の技能や技術、そして管理監督などのリーダシップを高める場だ。

・働くということは、人間にやりがいをもたらす。

・働くということは、それによって、その人の存在を意味あるものにする。

・働くということは、喜びである。

 などが考えられます。ここに書いた内容は、あくまでも私個人が考えた内容ですので、他の人が考えられれば、さらにたくさんの内容があげられることでしょう。

 ここで改めて考えてみますと、結構、色々とあげられるものです。普段深く考えていないときなどは、働くということはお金をもらうことだと、ただそれだけと思っている方も多いのではないでしょうか。

 このように、改めて深く考えることによって、通常では思いつかないことまでも気がつくものです。

2.「理由」を考える

 次に、働くことの理由を考えてみます。つまり、なぜ働くのかということです。

 

・お金がもらえるから働く。

・自分のやりがいや達成感が味わえるから働く。

・自分の技能や技術が身につくから働く。

・自分の生きがいを感じられるから働く。

・自分の存在感が感じられるから働く。

・色々な人たちと友人になれるから働く。

・自分の結婚のチャンスが増えるから働く。

・健康のためにいいから働く。

・色んなところに出張できるから働く。海外へも行けるかもしれないので。

働くことが喜びだから働く。

・自分のためだけでなく、他の人のためになるので働く。

・人のためになったという実感が、実は自分の生きがいになるので働く。

・人々を幸せにできるから働く。

 などを考えてみました。このように、なぜ働くのかと、どんどん考えていきますと、初めはお金がもらえるから始まりましたが、段々と自分のためから他人のためというように、認識の範囲が広がっていきました。

 これらから考えますと、実は、人間の一番の喜びとは、人々が幸福になることとも言えるのではないでしょうか。

 またそこに、人のためのものが、結局は廻りまわって自分のためになるという逆説があるように思います。

 さて、「働くこと」に対してその本質と、理由を考えてみましたが、考え方一つで、ものごとの意味が大きく異なってくることを感じられたのではないでしょうか。

 つまり、ものごと一つとっても、それをどう認識するかによって、それに対する価値観や行動の動機が変わってくることを、示しているのではないかと思います。

 「働くこと」を、単にお金を得るものだけと考えていますと、何か馬車馬のようなもの悲しさがありますが、それが、人生の生きがいとなって、さらに、多くの人々に幸せをもたらす機縁となるならば、その働くということ自体が持っている価値は、それこそ何百倍、何千倍、何万倍、いやそれ以上のものになるのではないでしょうか。

 つまり、考え方が仕事をするということではないかと思います。これほど考え方に力があると言うことでもあります。

 今回は、「働くこと」を事例として、その「本質」と「理由」を考えてみました。次回は、この続きの「目的」と「縁起」について考えてみたいと思います。

 この方法によって、皆様も何か身近なテーマについて考えていただければ幸いです(竹内)。

 

   ●平成15年11月17日 考えるための方法(実例その1≪続き≫)

 先回のコラムでは、考えるための方法の実例として、「働くこと」をテーマに、その本質と理由について考えてみました。そこで、今回は、考える方法の4つの側面(「四考法」)の残りである「目的」と「縁起」について考えてみたいと思います。

 目的とは、簡単に言えば、何のためにこれがあるのか、あるいはこれをするのかというその狙い、あるいはゴールを考えてみることです。また、縁起とは、それがあるとその後、どういう展開になるのか、あるいは、これをするとその後どういう展開になるのかを考えることです。

 先回考えてみました本質や理由については、種々の発想法が世の中にありますので、ある程度は考えられるものですが、今回のこの2つについては、哲学的、あるいは宗教的な洞察力が必要となりますので、少々難しくなります。

 しかしながら難しいものではありますが、世の卓越した経営者の多くの方々は、これらの洞察力を身につけておられ、その力によって難しい経営をしておられると言えます。

 それでは、さっそく前回に続き「働くこと」の目的と縁起について考えてみたいと思います。

3.「目的」を考える

 働くことの目的を考えるとは、何のために働くのかを考えることです。

 

・働くことの目的は、お金を得るためである。

・働くことの目的は、自分のやりがいや達成感を得るためである。

・働くことの目的は、自分の技能や技術を磨くためである。

・働くことの目的は、自分の生きがいを得るためである。

・働くことの目的は、自分の存在感を得るためである。

・働くことの目的は、色々な人たちと友人になるためである。

・働くことの目的は、自分の結婚のチャンスを得るためである。

・働くことの目的は、自分の健康を維持するためである。

・働くことの目的は、出張によって色々な土地に行くためである。

・働くことの目的は、自分の働きによって他人に喜んでもらうためである。

・働くことの目的は、人々を幸せにするためである。

・働くことの目的は、人々が幸せとなってユートピアが創られるためである。

・働くことの目的は、結局、人生の目的と使命を果たすためである。

 というように、何のために自分は働くのかということを考えてゆきます。この場合も、まず自分の身近なところが目的となりますが、自分の精神性が向上してゆきますと、その目的は手段となり、さらに高次なことがらが目的となっていきます。

 つまり、お金自分のやりがいや喜び自分の技能や技術の向上他人の喜び社会全体の喜びつまり、社会全体の幸せの顕れであるユートピアの創造へと目的が昇華していくのです。

 そして、その目的が高ければ高いほど、それに呼応して自分の理想も高くなる関係にあり、必然的にその人の向上心が高くなります。そして、理想が高くなればなるほど、人は小成することはなくなり、慢心や怠惰から遠ざかることができるようになります。

 例えば、何のために勉強するのかということを、学生時代に何度も考えられた方も多いでしょう。もし、その答えが大学の入学試験に合格することであったならば、大学に入学できたとたんに勉強をしなくなったはずです。また、その目的が、大会社に就職できることであったならば、大会社に就職したとたんに勉強をしなくなったはずです。

 このように、その行動の目的が何であるかということは、非常に重要なことなのです。なぜなら、人間の行動の原理は、何のためにこれを行うのか、ということに深く関係しているからです。

 しかしながら、これだけ重要なことであるにもかかわらず、十分に認識されていないということが現状ではないでしょうか。

4.「縁起」を考える

 最後に、働くことの縁起を考えてみます。それは、つまり、働いたらどうなるのかということを考えることです。

 縁起と言うと少し難しいので、昔からのことわざにある「風が吹けば桶屋が儲かる」ということを例に考えてみます。

 風が吹くと、ホコリが舞い上がる。そのホコリが目に入るので、目が見えなくなる人が増える。そうすると、外に出られなくなるので、三味線でも弾いて過ごそうとする人が増える。そうすると三味線がよく売れるようになる。三味線はネコの皮でできているので、ネコが捕られて減ってしまう。するとネズミがどんどん増えて桶をかじるので、桶屋が儲かる。

 これはよく落語でも使われるネタですが、論理的思考を意味しています。つまり、縁起を考えるとは、論理的思考をするということでもあります。

 それでは、働くということにを、論理的思考によって考えてみたいと思います。

 

・働くと、お金がもらえる。

・お金がもらえると、食べていくことができるようになる。

・食べられるようになると、生きることができる。

・生きることができると、さらに働いて技術を磨くことができる。

・技術が身につくと、後輩を指導することができる。

・後輩を指導することができると、その後輩が、また仕事ができるようになる。

・その後輩が仕事して働くことができると、お金をもらうことができる。

・その後輩がお金をもらえるようになると、食べていくことができる。

・食べられるようになると、生きることができる。・・・・・・

・以上がどんどん繰り返されると、働ける人が増えて国が富む。

・国が富むと、貧しい人々を救うことができる。

・貧しい人が救われると、多くの人々が幸せになる。

・多くの人々が幸せになると、そこにユートピアが現れる。

 以上のように、人一人から始まった働きは、それが連鎖して、多くの人々に影響を与え、結果的には国を豊かにして、ユートピア社会を創ります。

 ですから、自分の働きぐらいどうでもいい、だから働かなくてもいいという人が出てきたならば、それは、真綿のように国の首を絞めることになるのです。

 つまり、何事も始まりは小さなことです。あの黄河も、その始まりはチベットの高原の氷河のわずかな融水の流れです。その流れが、どんどんと大きくなり、あの大河となるのです。

 大切なことは、何事も些細なことから始まりますが、それが展開していくと、どのような姿になるかということを見抜く力が大事なのです。それを見る目を持っていたならば、ビジネスに成功しますし、もちろん人生の成功者ともなるでしょう。

 このようなたぐいの話は、巷に多くあります。例えば、蒸気機関が発明された当時は、馬車のほうがいいと思っていた人のほうが多いという状況でした。また、自動車が出たときに、鉄道が衰えるということを、はっきりと認識していた人も少ないものでした。

 人間は、どうしても現在の状態がいつまでも続いて欲しいという思いを持つものですが、原因と結果の連鎖で世界が動いているとするならば、その望みは、はかない妄想にしかすぎないと言えるでしょう。

 特に、変化の激しい現代においては、このような論理的思考ができなければ、それは仕事ができないということを意味すると言って過言ではありません。

 例えば、最近の企業における不祥事では、これをするとどのような結果をもたらすのかということを、1回でも考えれば分かるようなことが起きています。

 その原因には、色々なことがあったと思いますが、考えていなかったということが一番大きいのではないでしょうか。

 以上、2回に分けて「働くこと」の意味について考えてみました。この4つの側面から考える方法は、自分の身近なことに使うことはもちろんのこととして、さらに、哲学あるいは宗教的なテーマについて使うこともできます。

 次回は、そのようなテーマを事例として考えてみたいと思います。(竹内) 

 

   ●平成15年11月27日 考えるための方法(実例その2)

 先先回と、先回のコラムで、考えるための方法の身近な実例として、「働くこと」をテーマに4つの側面から考えてみました。働くと言うことは、それほど大きな意味を持っていないのではないかと思っていましたが、意外と人生にとって重要な意味を持っていると、改めて考えさせられました。

 そのように、改めてものごとを深く考えますと、意外な面の発見ができるものです。

 さて、それでは、今度は抽象的なことをテーマとして、この考える方法を使って考えてみたいと思います。

 そのテーマは、禅寺での公案(悟道のための研究課題)にでも出てくるような内容をテーマとしたいと思い、次のテーマをあげました。

 テーマ 【人生】 

 今まで、色々の人たちが人生とは何かを考え続けて参りました。それは、まさしく禅問答のようなもので、答えがあるようでないようなテーマであるかと思います。また、人それぞれに、人生の捉え方は異なるもので、その答えも人の数だけあるのではないかとも思えます。

 そこで、これから「人生」について考えてみますが、ここでの内容は、あくまでも私個人が考えた内容であって、皆様に色々と考えていただきたいがために、あえて例としてあげるものです。ですから、これを考えるきっかけとして色々と出して頂ければと思います。

1.「本質」を考える

 では、まず人生の本質とは何かを考えます。つまり、人生とは一体何なのかを考えることでもあります。

 

・人生とは、生きることである。

・人生とは、生きるために食べることである。

・人生とは、食べるために働くことである。

・人生とは、働いてお金を得て、楽しむことである。

・人生とは、楽しいことだらけだ。

・人生とは、おぎゃっと生まれて、死ぬまでの間のことを言う。

・でも、人生とは、よくよく考えると苦しみである。

・なぜなら、人生には、四苦八苦(*1)がある。

・だから、人生とは、色々なことが体験できる場だ。

・故に、人生とは、修行の場だ。

・また、人生とは、自分の技術や人間関係を向上させる場だ。

・つまり、人生とは、一冊の問題集(*2)である。

・人生とは、死んだら終りではなく、また、輪廻する。いや、そうでなくてはおかしい。

 以上、人生とは何かを考えてみました。人生とは、「人が生きる」と書く訳ですから、ただ寿命が来るまで生きるだけと思っている方もいるかも知れません。

 でも、この考え方だと、何のために生まれてきたのかということを、永遠に考えることはできないでしょう。ただ生きるだけと思っているならば、人間でなくてもいい訳で、人間で生まれてきたということは、生存以上の目的があるはずです。

 それを考えることが重要なのです。もしかしたら、それを考え考え、探求するのが人生かも知れませんね。

 では、次に、人生がある理由について考えてみたいと思います。

2.「理由」を考える

 つまり、なぜ人生があるのか。なぜ人生を歩むのかという理由を考えてみます。先ほどと同じように、単純な思いつきから始めて、段々と深く考えていきます。

 

・生まれてきたから人生がある。

・自分の意思で生まれてきたかどうか分らないが、両親によって与えられたから人生がある。

・生きているから、それこそが人生なのだ。

・他人も人生を歩んでいるので、自分も人生を歩むものなのだ。

・誕生から始まって、成長して社会に出て、結婚して、そして老いる、そういう経験ができるので人生がある。

・その経験によって、色々なことを身に付けられるので人生がある。

・そして、色々なことを身に付けることによって、自分が向上できるので人生がある。

・その向上は、単に技術や技能、芸術的なことだけでなく、心をも磨くことができるので人生がある。

・人間は、そういう圧力のあるところで生きないと向上しないので人生がある。

・また、人生にて磨いたことは、死んだら全て無くなってしまうのはおかしい。絶対にあの世があって、それをあの世に持って帰れるように人生はあるはずだ。

・そして、持って帰ったことをベースとして、また地上に生まれて来れるように人生があるはずだ。

自分が向上して、さらにそれによっていい社会を創れるように人生があるのではないだろうか。

・つまり、魂の向上と、ユートピア建設ができるように人生があると言えるだろう(*3)。

 というように考えていきますと、人生がもし、誕生から始まって、死ねば自分が経験したことの全てがなくなってしまうなら、人生の存在理由が理解できないことになるでしょう。それはもう、くたびれもうけだけの人生となるからです。

 人間が、アメンボのように偶然に発生し、そして、消えていくだけならば、それほど知的な存在でなくてもいいはずです。

 人間には、創造する能力があって、また、考える能力もあります。そして、自分が努力して得たことは確実に自分のものとなります。もし、それが全てなくなってしまうなら、まことに惜しいことになります。

 また、原因と結果の連鎖によって、この世界が運営されているという法則があるならば、為したことが結果を見ないで消えてしまうとすると、その法則に反することになります。

 でも、そんなことはありません。人生は、あの世と輪廻転生するから、論理的に意味を持ってきます。ここで考えたように、もし、死んだら何もかも終りの人生ならば、説明のつかないことが多すぎます。

 つまり、あの世がないなら理不尽な人生となるわけです。やはり、あの世はあり、人生で経験したことは全て、あの世に持って帰ることができるのです。

 この世界が、慈悲に溢れた世界であるように、私たちの人生もまた慈悲によって支えられているということを、改めて発見させていただきました。

 このような思いに至ったのも、やはり、考えるということをしたからだと思います。普段深く考えていないときは、人生の意味や意義についての新たな発見はありません。

 しかし、ものごとを深く考えると、論理的な整合性などが見えてきて、多くの発見ができるものです。これもまた、人生の意味ではないでしょうか。

 それでは次回は、人生の目的と縁起について考えてみたいと思います。(竹内)

(*1)『悟りの挑戦』第3章(幸福の科学出版);(*2)『常勝思考』p.196(同);(*3)『太陽の法』(同) 

   ●平成15年12月07日 考えるための方法(実例その2≪続き≫)

先回のコラムでは、考えるための方法の抽象的な実例として、「人生」をテーマに、その本質と理由について考えてみました。そこで、今回は、残りの側面である人生の「目的」と「縁起」について考えてみたいと思います。

 人生の目的とは何か、人生はその後どうなっていくのか。もし、このことが分っただけでも、生まれてきた甲斐があったというものでしょう。それぐらいこの設問は、重みのあるテーマです。

 今までに哲人だとか聖人と言われた方は、このテーマについて真剣に考えられた人たちのこと言うのではないかと思います。そのテーマをここで考えるのですから、かなり冒険的だとも言えるかも知れません。

 ただ、この人生の目的や縁起について考えるためには、それだけの材料である知識が必要です。何も材料がなければ考えることはできませんので、あらかじめ関連の書物(*1)(*2)に目を通されることをお勧め致します。

 それでは、さっそく前回の続きである「人生」の目的と縁起について考えてみたいと思います。

3.「目的」を考える

 人生の目的を考えるとは、人生は何のためにあるのかということを考えることです。

 

・人生の目的は、生きることにある。

・人生の目的は、生きるために食べることにある。

・人生の目的は、食べるためにお金を儲けることにある。

・人生の目的は、たくさんお金を儲けて、楽しむことにある。

・つまり、人生の目的は、お金を儲けて、大きな家に住み、贅沢な暮らしをすることにある。

・でも、よくよく考えてみると人生は苦しみの中にある。なので、その目的は楽しむことだけではないらしい。

・なぜなら、人生には、四苦八苦があるから、それに負けずに乗り越えていくことにもあるのではないか。

・だから、人生の目的は、色々なことを体験するところにあるだろう。

・故に、人生の目的は、魂修行(*1)にあると言える。

・つまり、人生の目的は、種々の人生の問題集を解いて魂を向上させることにあると思う。

 というように、人生は何のためにあるのか、ということを考えてゆきます。初めは、人生の目的が、単なる生きることから始まり、次に、お金を儲けて贅沢な暮らしをし、楽しむことが人生の目的ではないかと思うようになります。

 しかしながら、現実には人生は苦しみの連続です。生老病死の四苦に代表されるように、まず、生まれてくる苦しみがあり、そして老いる苦しみがあります。そして、誰でもが病気を経験します。そして、一番いやな死を迎えることになります。

 そうしますと、楽しむことだけが人生の目的だとは思えなくなってきます。そこで、なぜ、それらの苦しみがあるのかということを考えるようになり、先回のコラムで考えたように、それらの苦しみによって魂が磨かれ、その結果、魂が向上することを知るに至るのです。

  そのように考えますと、結局、人生とは、もちろんその途中において楽しいこともありますが、苦しいことを乗り越え、魂の修行をすることが人生の目的なのだということに考えが至るのです。

 そのように考えられるようになりますと、自分の人生観が変わってくるのではないでしょうか。初めは、自分がお金持ちになって贅沢をしたいと思っていましたが、それだけでは何の自分の向上にはなりません。

 死んだら1円玉ひとつあの世に持って帰ることもできず、持って帰れるのは心だけだと知ったならば、生き方が変わるはずです。つまり、この世で、努力して身に付けた技術や経験などだけしか持って帰れないならば、その持って帰れるものをよくしょうと思うはずです。

 そのように、永遠に価値あるもののために、自分の人生を費やすことこそが大事なことではないでしょうか。

4.「縁起」を考える

 このテーマの最後に、人生の縁起を考えてみましょう。それは、つまり、人生を生きたらどうなっていくのかということを考えることです。

 このテーマも、先々回のコラムで、述べましたように、「風が吹けば桶屋が儲かる」式に考えて参ります。

 それでは、人生の縁起を考えていきます。

 

・人生は、おぎゃっと生まれるところから始まる。

・生まれたら、まず親から養ってもらう。

・段々と成長し、学校を卒業したら、自分で生きられるように働く。

・その働きとは、まず先輩から教わるばかりから始まる。

・やがて、月日が経つにつれて、経験を積み、段々と仕事の腕が上がってくる。

・一人前になったかなと思えるころに結婚して、子供が生まれる。

・そうすると、家庭が出来て楽しいこと、つらいことを経験することになる。

・従って、会社の仕事上の経験と、家庭の中での経験も積むことになる。

・そうすると、段々と人間が磨かれてきて、仕事的にも魂的にも向上してくる。

・もちろん、いいことばかりでなく、努力をしなかったり、悪いことばかりに引かれていくと堕落が始まる。

・向上してくると、それが自分の廻りにいい影響となって現われる。

・そのような人が、一人二人と増えてくることによって、幸せの輪が広がっていく。

・そして、それが社会全体にいき渡ると、仏国土ユートピアがもたらされる。

・つまり、人生の使命はユートピア建設(*1)にあるということだ。

 以上のように、一人ひとりから始まった人生は、段々と他に影響を与え、正しい人生であれば、他人を幸福にし、その廻りに仏国土ユートピアが現われることを意味しています。

 また、逆に誤った人生を歩むならば、それは他人に迷惑をかけ、人々を不幸にし、結果的に地獄の世界をこの地上にもたらすことになります。

 何事も、初めは些細なことから始まりますが、それが連鎖反応して他人に影響を与えていくことになります。そして、それが大きくなって社会全体に現われてくるのです。

 これを重重無尽(*2)の考え方といいます。つまり、魚をとる網は縦と横のロープが結び合って十文字になっています。その結び目が自分であって、縦と横のロープを介して隣の結び目である他人と自分が繋がっているという考え方です。

 ですから、自分一人の人生なんかどうでもいいのだという考えは間違っています。さらに、自分一人ぐらいいいだろうという思いを全ての人が持つようになったらどうでしょうか。それは、もうその考え方一色になってしまします。

 そこまで読んで人生を考えていきますと、どのような人生の生き方がその後、どのように他人や世界に影響を与えていくのかが分るようになります。

 もちろん、自分についても縁起を読むことによって、自分が死んだ後あの世でどのような暮らしになるのか、また、次に地上に生まれて来るならば、どのような人生を生きれば、自分の大きな学びになるのかが分ってくることとなります。

 そのように、原因と結果の連鎖を追って考えていくことが、この縁起を考えることですが、これには、深く考えることが必要なので、静かな空間で自分一人となることが必要となります。しかしながら、このような環境を手にすることは、現代人にとっては贅沢な願いかも知れません。

 そのためにも、静かで落ち着いて考えられる環境が早く開発されることを望む次第です。

 以上、先回と、今回のコラムで「人生」について四つの側面から考えてみました。結構、禅僧になった気分を味わえたのではないかと思います。次回は、さらに、この考えることがいかに職場や家庭で必要とされているかを、具体的に考えてみたいと思います。(竹内)

(*1)『新・幸福の科学入門』第5章P.126(幸福の科学出版);(*2)『大悟の法』第5章P.274(同) 

   ●平成15年12月17日 考えることが仕事になる

 平成15年8月7日のコラムから始まった「考える」シリーズで、これから考えることが重要になる時代がやってくることを述べましたが、その時代に対応していくための考える方法(「四考法」)についてシリーズで述べて参りました。

 記録されている過去の人類の歴史を見て参りますと、これだけ時間当りの変化の激しい時代もなかったのではないかと思います。農業が中心の時代にあっては、親子代々同じ農業をやってきたという人たちも多く、また、親子ともに同じような人生を歩んだという人も多かったのではないかと思われます。しかし、現代では親と同じような人生を歩む人はまれと言っていいでしょう。

 なぜか。それは、時代の変化があまりにも激しいからなのです。

 例えば、日本においては、終戦直後と現在の社会の様子を比べてみればいいと思います。ここ50年ばかりの変化と、江戸時代での50年の変化を比べれば分かると思います。おそらく、江戸時代の何百年かの変化が、ここ数10年で起こっているのだと思っていいと思います。

1.人生は移り変わるもの

 仏教の言葉に「諸行無常」(*1)という言葉があります。つまり、全てのものは常ならずということであり、全てのものは移ろいゆくものであるということです。すなわち、今の状態が、そのままずっと続くことはありません。

 そのような移り変わる環境にあっては、常に、その場その場でのベストの対応策が必要とされます。すなわち、今、遭遇していることが、過去においてまったく同じ状況であったというものがないならば、昔のことが、そのままでは役に立たないということを意味しています。

 つまり、似ていたとしてもどこかが異なっているはずです。例えば、相手が違う、場所が違う、周りの状況も違うというように、昔と全く同じ状況というのはあり得ないのです。

 これが人生というもので、そうだからlこそ面白いとも言えるでしょう。

 従って、過去の経験した事例がそのまま当てはまらないとするならば、人生は、全て応用問題となる訳です。

 すなわち、その都度、過去の事例を参考にしながらも、その状況によって判断を変えていき、その状況でのベストの答えを見出していくことが必要となってきます。

 従って、そこに、考える力が必要とされてくるのです。

2.記憶力だけではもう役に立たなくなってきた

 このように、現代では益々考える力が必要とされていますが、学校教育ではどちらかと言いますと記憶力を試す試験が中心となっています。そして、記憶力さえ良ければ、いい点数が取れるようになっています。

 しかしながら、人生は変化の連続です。過去に起きたことを正確に覚えていたとしても、それだけではもう役に立たなくなってきています。

 もちろん、記憶力も大切で過去に自分が経験したことを忘れてしまっては、それらを材料として応用問題に使うことができませんので、最低限、自分がどういう経験をしたのかということは覚えておく必要があります。でも、それだけではだめだということなのです。

 すなわち、記憶だけがあるということは、それは、材料があるだけなのです。料理で言えば、野菜や肉があるだけなのです。それらの材料を使って料理をすることが、次に必要となります。それが、考えることなのです。そのときに、必要となるのが方法論であり、そのひとつが、このシリーズで述べました四つの考える方法(「四考法」)です。

 例えば、次のような表を作って考えてみればいかがでしょうか。

課題
(自分の課題を書く。例えば、「自分の仕事」)
本質
(自分にとって、仕事とは一体何かを考えて書く。)
理由
(なぜ、自分が仕事をしなければならないのかを考えて書く。)
目的
(何のために、自分が仕事をするのかを考えて書く。)
縁起
(仕事をしたら、その後、自分や周りがどうなっていくかを考えて書く。)

 考えると言っても何を考えたらいいのかが分からない場合もありますので、本シリーズでは、このような考える方法を提案させて頂きました。私が、普段使っている方法ですが、結構役に立つもので、よろしかったらこのような表を作って、書き込んで頂ければと思います。

3.職場での仕事の変化

 このように、人生が移り変わるものであるならば、職場はもっと変化の激しいところだとも言えます。従って、人生で考えることが必要とされるならば、職場ではもっと考えることが必要とされるでしょう。

 今まで働くと言うことは、どちらかと言えば体を動かして、動作をすることを意味していました。例えば、農業ならば田植えや草取り、そして稲刈り、脱穀などがありました。これらは、体を使わないと出来ません。

 また、機械の製造業では、旋盤を動かして加工したり、ドリルで穴を開けたり、これらも体を動かさなければ出来ません。

 それらの仕事の中でも、人との交渉や販売接客業、芸能芸術的な仕事は、まだまだ人がやるべき仕事として残っていきますが、体を動かすだけの単純な作業は、どんどん機械にとって代わられることになっていくでしょう。

 そして、事務の仕事は、単純な書類仕事が無くなっていき、考えて色々な答えを生み出すような仕事に移っていくことが予想されます。そして、その答えとは、問題を解決のための答えや、業務の改善案、そして、業績を向上させるための方策などが考えられます。

 そうしますと、今までの事務仕事の形態がもっと変わってくるのではないかと思います。例えば、フレックスタイムや在宅勤務というものを、現在では既に取り入れている企業も多いですが、質の高い答えさえ生み出されるならば、どのような勤務形態でもよい訳で、そのスタイルはさらに変わってくるものと思います。

 例えば、都会で働くのではなく、自然豊かな海の近くや山などで、考えることに従事する人たちも増えてくることが予想されます。そして、今後、考える仕事の生産性を高めるための施策が企業にとっての重要な課題となり、そのために色々と研究開発がされるのではないかと思います。

 今までは、朝9時に事務所の自分の机について、毎日同じように書類の処理を行っていたという人は、それまでの仕事は、全て企業間のコンピュータ通信(BtoB)が行ってくれますので、いかに顧客の創造をしていくのか、いかに顧客の満足度を上げるのか、などを考えることが仕事になる日も遠くはないと思います。

 そのときに必要となるのは、やはり、考えた内容をどのように成果に結びつけるかということでしょう。考えるという抽象的なことが、どのように具体的な成果となって現れてくるのか、その評価システムもまた必要になることと思います。

 以上、考えていきますとどんどんと議論が進んできますが、今回は、職場での仕事の変化まで述べて終わりにしたいと思います。

 次回は、今年の最終回となりますので、何か一年の締めくくりとなるようなコラムにしたいと「考えて」います。(竹内)

(*1)『沈黙の仏陀』第1章P.15(幸福の科学出版)

   ●平成15年12月27日 一年の終わりに一年間の感謝を

 昨年末のコラムでは、一年の終わりに一年間の反省をしましょうと、反省についてお話しをしました。そこで、今年は、一年の終わりに皆様とともに一年間の感謝行をさせて頂きたいと思います。

 過去の七の日コラムでも述べましたように、感謝は簡単なようですぐに出来るものではありません。なぜなら、感謝の心が起きるには、それ相応の法則性があるからです。すなわち、与えられていることの発見があって初めて、感謝の心が起きてくるものだからです。

 そこで、今年一年間の与えられていることの発見を行い、そして、その与えられていることに対して、感謝をして参りたいと思います。

(1)静かな場所に移動する

 感謝も反省と同じで、感覚的な刺激が加わるようなところでの実践は難しくなります。例えば、テレビの音や人の声などが聞こえるところや、何かおいしい匂いなどのするところも難しいでしょう。

 従って、現代の住宅環境では難しいところがありますが、できるだけ静かなところに移動をしていただきたいと思います。

 なぜ、このような環境が必要かと申しますと、感謝や反省は、外からの働きかけによってなされるものではなく、あくまで自分が自発的に考えるというところによるものだからです。人間は、外からの刺激がなくなりますと、自然にその関心が内に向く性質を持っているからです。

(2)自分の周りに与えられているものの発見

 そのような環境に移動できましたなら、そこで、存在することが当たり前だと思っている自分の周りのものを改めて発見して参ります。本来、人間は何も無しで生まれてきています。服も、茶碗も、お箸も、布団も、かばんも、車も、家も、全てがなかった訳で、生まれてから与えられたものです。

 もちろん、自分でお金を貯めて買ったのだから自分のものだと言われるものもあるでしょう。でも、たとえお金を出したとしても、それを作って自分に渡してくれた人がいるということなのです。

 だから、全てが与えられたものなのです。

 このように、自分の周りにあるものの一つひとつを、改めて確認して参ります。それは自分の身に付けているものから始まって、部屋の中のもの、家の中のもの、そして、家を出て町並木、道、歩道橋、街路樹、街燈、そして、色々なお店、・・・というように、目を瞑って自分があたかも歩いているかのように、改めて発見してゆきます。

 そして、その発見がずっと進んでいきますと、おそらく、この地球があること、空気があること、月があること、さらに太陽があるところまで及んでいくのではないかと思います。

(3)そして感謝

 次に、発見したそれぞれに対して「ありがとう」という思いを出していきます。例えば、今、自分がウールのセータを着ているとするならば、このセータに感謝します。また、このウールの毛を提供してくれた羊にも感謝します。自分の毛を提供して、人間のセータとしてくれた羊にも感謝します。さぞ自分は、毛を刈られて寒かったのではないかと思います。

 その一つひとつに対して感謝の思いを出していきます。また、そのとき、心の中で「ありがとう」と言うのもいいでしょう。それだけで足りなければ、声に出してありがとうと言うのもいいでしょう。

(4)今度は、一年間に出会った人への感謝

 自分の周りにあるものに対する感謝が終わったならば、今度は、出会った人々に対する感謝を行います。

 この感謝を一年まるごと行うのは難しいので、分けて行うほうがやり易いと思います。

 (4−1)まずは周りの人たちに対する感謝

 まずは、空間的に周りの人たちに対する感謝を行います。一番身近な存在は、自分が独身であるならば、ご両親やご兄弟でしょう。結婚しているなら、妻や夫である伴侶でしょう。

 そのように、まずは同居している人たちに対して与えられていることの発見を行って参ります。両親からは、それこそ与えられてばかりだと思います。また、伴侶にしても同じです。与えられているけれども、自分は何もしてあげられてないという反省の思いが出てくるものと思います。

 同居の人が終わったならば、職場、近所、同級生、・・・などとその輪を広げていきます。

 しかしながら、どうしても、自分は何も与えられていない、むしろ、奪われているばかりだ。あるいは、いつもけんかばかりしているという人もいるかも知れません。

 そのようなときであっても、もし、その人がいなくなったらどうなのか。あるいは、自分はいつも不愉快だけれども自分を磨いてくれているヤスリの役をやってくれているのだと思えばどうでしょうか。

 あるいは、反面教師をやってくれていると考えればどうでしょうか。世の中に、偶然と無駄はないと言われています。

 そのような人と同居しているのも偶然ではないし、自分にとって、つらいことかも知れませんが、これは無駄ではない、自分の心の修行になっているだ、あるいは、自分の信仰心を試してくれているのだと思えば、かえって、その人がいるおかげで色々と与えられていることの発見ができるのではないでしょうか。

 このように、まず同居の人に対して何でもいいですから与えられていることを発見し、それに対して感謝して参ります。

 (4−2)次に、時間を区切って出会った方に対する感謝

 自分の周りの人に対する感謝が終わったならば、次に、時間を区切って出会った方々を思い出していきます。

 例えば、今年の1月に会った方、2月に会った方、・・・というように、12月までを思い出してまいります。

 そして、その人から与えられたことの発見をしていきます。色々と親切にしてくれたこともあるだろうし、色々と自分のためにしてくれたこともあると思います。もっと具体的に、色々と物やお金をもらったこともあるでしょう。

 それらの一つひとつを思い出して参ります。そして、それらに対して、「私は、これをいただいた。本当にありがたい。〜さん、ありがとうございます。」というように、心の中で思います。これが感謝の思いとなっていくのです。

 ところがその反対に、それらの人の中には、自分から物やお金を奪った人、自分を傷つけた人、あるいは、騙した人も居るかも知れません。それらの人に対しては、感謝の思いどころか、腹立たしい思いしか出ないこともあるだろうと思います。

 しかしながら、これも偶然と無駄はなく、実は、自分に学びを与えていただいたのだと思えば、これまた、ありがたいことになっていきます。

 たとえ騙されたとしても、これからは騙されない智慧をいただいたのだと思えば、逆にありがたい思いになるのではないかと思います。

 以上のように、自分の周りのものや、出会った人たちに対する感謝を行って参ります。これらのことを行いますと、意外と多くの人たちから与えられていることの再発見ができるのではないかと思います。

 そして、最後に、いや、これが一番大事だと思いますが、仏神に対する感謝を忘れてはならないと思います。毎日、太陽が出てくれることも、雨の恵みを与えていただいていることも、また、食物が与えられていることも、これらは全て仏神のご慈悲にお陰です。こうして、今も健康に生きていられるのも、仏神のお陰なのです。朝起きて、命があることも仏神のお陰なのです。

 一年の最後に、一年間生かして頂いたことに対する感謝が、人間として非常に大切なことではないでしょうか。

 それでは、本年も一年間、皆様にこの七の日コラムをお読みいただいたことに深く感謝して、来年が皆様にとってすばらしい年となることを祈念し、本年の終わりとさせていただきます。ありがとうございました(感謝)。