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  過去のコラム 平成17年1月〜平成17年2月まで 

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   ●平成17年01月07日 今年は考える時代の元年

     新年、明けましておめでとうございます。

     本年も、七の日コラムをよろしくお願い申し上げます。

 さて、考えることについてシリーズで述べておりますが、どうもこれからの時代は、考える能力の大きい人が勝利していくように感じています。

 それには、根拠があります。まず第一に、「考える」ということをテーマにした本が、続々とベストセラーになっていることが挙げられます。やはり、人々は、これからの時代において、何が大切になるかということを、敏感に感じ取っているからだと思います。

 あるいは、現在の自分の周辺で、考えるという能力が必要不可欠になってきたということを、体験を通して痛切に感じているのではないかと思います。実は、私も、「四考法」と題して、考える方法を提唱しています。

 また、第二に、最近になって各メーカから優秀なロボットが続々と開発されて、これから、真に人間に必要とされることが何なのかを、考えさせられるようになってきたからではないかと思います。

 昨年末でしたが、ホンダが開発したロボットであるアシモが走っているのを見て、びっくりされた方も多いのではないでしょうか。私もそのうちの一人ですが、今までは、各メーカから出されたロボットを見て、何かほほえましいところを感じていました。なぜなら、まだまだ人間には及ばないので、何か同情的なところを感じていたからです。

 しかしながら、アシモが走っている姿を見て、思わず乗り出してテレビを見てしまいました。これは、ただごとではないと・・・。

 いつの日にかは、人間が行っている単純な作業の全てを、ロボットに取られてしまうのではないかと、心底思ったからです。

 では、人間に残るものとは何なのでしょうか。どんどんとロボットに人間の仕事を取られたときに、人間に残された仕事とは何なのか、それを考えさせられてしまいました。

 そこで、思い至ったのが、「考える」という仕事だったのです。

 私は、コンピュータによるシステム開発の仕事に従事しておりますが、コンピュータというものは、あらかじめプログラムされた以上のことを行うことは、絶対にできません。つまり、人間が事前に考えて、その内容をコンピュータにインプットしておかなければ、コンピュータは、それを実行することはできないのです。

 つまり、機械であるところのロボットは、人間の考えた範囲でしか動くことはできませんので、独自に新しいことを行うことは、できないと言えます。

 たとえ、予期しないことをロボットが行えるようになったとしても、どのようなことが起きるかが分からないので、それをロボットに行わせることは避けるでしょう。

 従って、決まりきった単純再生産的な作業は、今後どんどんとロボットに移管され、その代わりに、人間には、考えることによって新しいことを創造する仕事が与えられるでしょう。

 それを、意識するかしないかは別として、人々はそれを直感的に感じ取って、その結果、考えるということに対する意識が高くなってきたのではないかと思います。

 ですから、そのような時代背景がなければ、ここまで意識は高くならなかったのではないかと言うことなのです。

 そこで、私の予感ですが、今年を基点として、ますますその傾向は強くなるものと思います。だからこそ、今年は考える時代の元年であると思うのです。

 従って、今年は考えることに対して、多くの書物が発刊されることが予想されますし、考える方法や、考える力を強めるためのセミナーが盛んに開催されるのではないかと思っております。

 今までは、ダイエットや健康食品に人々の関心が集まっていました。もちろん、この傾向は当分の間続くものと思いますが、健康になってどうするか、ダイエットで美しくなってどうするのか、そのとき、やはり考える力がないならば、単に生きているとしか言えないとなれば、人々は、真に自己発揮するためにも、考えるということに対する意識を高めていくのではないかと思います。

 なぜなら、人間の本質とは、もともと「知性あるエネルギー体」(*1)であるからです。

 何か時代の変化によって、真に人間にならざるを得ない環境が現れてきたのではないかと思っております。

 少し脱線致しましたが、それでは、次回から昨年からの続きである営業活動について考えていきたいと思います。

(*1)『太陽の法』P.210〜211(幸福の科学出版)

   ●平成17年01月17日 営業活動の目的を考える

 

 昨年から、営業活動について考えて参りましたが、先回のコラムでは、営業活動の理由について考えてみました。つまり、なぜ、営業活動を行うのかという素朴な疑問について、その答を考えてみました。そこで、今回は、その4つの切り口(「四考法」)のうちの第三の項目である、目的を考えるということについて述べてみたいと思います。

 すなわち、何のために営業活動があるのか、何のために営業活動を行うのか、これについて考えてみたいと思います。

 今回も、ブレーンストーミング法によって、考えてみたいと思います。

 それでは、何のために営業活動があるのか、何のために営業活動を行うのかについて考え、挙げてみましょう。

その目的は、自社の商品を販売するため。
その目的は、商品を販売することによってお金を得るため。
その目的は、商品を販売してお金を得て、それによって利益を得るため。
その目的は、顧客に自社の商品をよく知ってもらうため。
その目的は、顧客に自社の商品をよく知ってもらって、自社の商品を買ってもらうため。
その目的は、顧客に自社の商品を買ってもらって、ハッピーになってもらうため。
その目的は、顧客とコミュニケーションを図るため。
その目的は、自分のコミュニケーション能力をあげるため。
その目的は、顧客の要望をよく知って、それに応えるため。
その目的は、顧客の要望に応えることによって、顧客に喜びをもたらすため。
その目的は、顧客に喜びをもたらすことによって、自社も発展するため。
その目的は、顧客に喜びをもたらすことによって、結果的に社会に貢献するため。
その目的は、社会に貢献することによって、明るい未来を創るため。
その目的は、顧客に喜びをもって自分の喜びとするため。
その目的は、顧客に喜びをもたらし人類の発展と進化に寄与するため。

 以上、ブレーンストーミング法によって、何のために営業活動があるのか、何のために営業活動を行うのかということを考えてみました。ここで得られた内容も、すでに先回に考えた「営業活動の本質」「営業活動の理由」と親和性のある内容となりました。

 何のために、これを行うのかということは、自分が仕事をする上で非常に重要となってくるのです。

 単に売るだけでよかったら、大安売りして損をしてもいいことになります。

 単に販売によって利益も得ることが目的であったら、その製品によって、顧客に迷惑がかかってもいいことになります。

 以前に、企業における不祥事は、ここで考えたところの何のために販売活動を行うのかということを、一回でも考えたならば、あのような不祥事は発生しなかったことでしょう。

 つまり、これからの時代は、考え方が仕事をする、という時代となる証明であろうかと思います。

 それは、レンガ一つ組む作業においても、考え方によって変わってきます。

 レンガ工にあなたは何をしているのかと聞くと、私はただレンガを積んでいるのですと答える人、私は、壁を作っているのですと答える人、私は教会を創っているのですと答える人など、まちまちですが、同じ作業をしていても、何のために作業をしているのかを知っている人と、知らない人では、その作業自体が変わってきます。

 つまり、単にレンガを積んでいると思っている人は、それが壁なのかが分からないので、デコボコにレンガを積むかも知れません。また、単に壁を作っていると思っている人は、バーに使うような壁を作るかも知れません。それは、とても教会の壁には使えないかも知れないのです。

 ですから、今自分は何を建てているのかという目的を知ることは非常に重要で、それによって、自ずから仕事のやり方自体も、変わって来ざるを得なくなるからなのです。

 従って、企業のリーダは常に、何のために私達の仕事があるのか、何のために私達は仕事をするのか、ということを常々言っておく必要があるということです。

 以上、今回は営業活動の目的について考えてみました。それでは、次回もこの続きについて述べて参りたいと思います。(竹内)

 

 

   ●平成17年01月27日 目的を考えることの重要性

  先回のコラムでは、営業活動における目的について考えてみました。この目的を考えるということは、現在自分が行っている業務と、直接的には関係しないので、さほど関心がないというのが現状ではないでしょうか。

 しかしながら、先回にも述べましたように、非常に重要、かつ、重大なことでもあります。そこで、今回は、目的を考えることの重要性について述べてみたいと思います。

 1.旅行で目的地を間違えたらどうなる

 ここで、少し例をあげたいと思います。自分は、これから旅行をして、あるところに行かなければならないとします。そして、そのためには、新幹線に乗って目的地にまで行くとします。

 そこで、まずは新幹線に乗らないといけないので、新幹線の切符の買い方を知らなければいけません。また、どこの席を取ればいいかも考えておかなければなりません。

 そして、その列車が東京駅を出発するならば、何時何分に何番線ホームに入線するのか、また、自分がそれまでの時間に東京駅に着くためには、どのような経路でどのような手段で行けばよいかも調べておかなければなりません。

 それらのことを全てなし終えて、やっと予定の列車に乗ることができるのです。ですから、旅行するにも、結構仕事レベルで大変なところがあります。

 でも、それらのことを、上手にこなせたとしても、もし、目的地と違う列車に乗ってしまったらどうでしょうか。

 自分は、大阪に行きたいのに、列車を降りたら仙台だった。あるいは、仙台に行きたいのに、着いたら大阪だったということだったらどうでしょうか。

 目的地を間違えるくらいなら、まだ乗らなかったほうがまし、ということになってしまいます。

 2.目的を間違えると努力逆転になる

 これを、「努力逆転」と言います。自分としては、努力して東京駅までたどり着き、無事に列車に乗ったところまでは良かったのですが、目的地とは逆の列車に乗ったとするならば、家で寝ていたほうが、まだ良かったということもあり得ます。

 つまり、それをしなかったほうが、まだ良かったという皮肉な結果になってしまいます。

 では、なぜこのような逆転した結果になったのでしょうか。それは、個々の仕事の遂行には問題がなかったのですが、その仕事の目的を誤ったということなのです。

 この目的とは、ある意味で方向性と言うこともできます。つまり、もし、方向を間違って進んでしまったら、むしろ進まなかったほうが良かったということになります。

 ですから、事前に方向性である目的をよく確認することは非常に重要なのです。それは、過去の努力が全て水の泡、いや、水の泡ならまだ良いのですが、全て毒の水になることもあり得るからです。

 例えば、自分は一生懸命に働きました、朝から晩まで働きました。ところが、その仕事が、人をだますような詐欺まがいの仕事であったならば、自分の行き着く目的地は、地獄になります。つまり、地獄に行くために一生懸命に努力をしていたということになります。

 もし、そうなるのであるならば、生まれて来なかったほうが良かったということもあり得ます。仕事そのものの内容については変わりがなくても、結果は、まるで違うということが起こり得るからです。

 3.目的を考えるということは戦略を考えることと同じ

 では、その目的を考えるということとは、どういうことでしょうか。それは、最終的に到達する理想の所を決めるということに他なりません。つまり、最終的にどのようになりたいのか、どこに到達したいのかを決めるということです。

 そして、その次に、そこに到達するまでのプロセスについて考えていくことになります。すなわち、このことは戦略を考えることと同じことになります。

 戦いでも、事業でも、あるいは人生でも、戦略的にものごとを考えることは重要です。行き当たりばったりで考えるのとでは、まるで違ってきます。

 例えば、何も目的もなく事業を始めたならば、それは、毎日がその日暮らしの生活となってしまいます。つまり、戦略なき人生はもろいもの(*1)です。

 従って、常に将来を見据えて、戦略的にものごとを考え、それでいて目的を見失わないならば、必ず勝利を手にすることになるでしょう。

 今回は、目的を考えることの重要性について述べてみました。それでは、次回もこの続きについて考えてみたいと思います。

 (*1)『常勝の法』第一章「成功の法則」P.31〜40(幸福の科学出版)

   ●平成17年02月07日 営業活動の縁起を考える

   先回のコラムでは、目的を考えることの重要性について述べてみました。その中で、目的を考えるということは、戦略的にものごとを考えることと同じことであるとも述べました。

 そこで、今回は、原因と結果の連鎖によって物事を考える四つの方法(「四考法」)の四つ目にある縁起(*1)について考えてみたいと思います。(縁起には、時間縁起と空間縁起がありますが、ここでは特に時間縁起について述べます)

 すなわち、営業活動を行えば、その後どのようになっていくのか、これについて考えてみたいと思います。

 今回も、例によって、ブレーンストーミング法で考えてみたいと思います。

 それでは、営業活動をすると、その後どうなるのかを挙げてみましょう。

営業活動をすると、顧客に、自社の商品を知ってもらえることになる。
顧客が、自社の商品を知れば、その商品に対する関心が高くなる。
顧客の自社の商品に対する関心が高くなると、顧客が購入しょうかなという気持ちになる。
購入しょうかなという気持ちが、ある点を越えると実際の購入となる。
顧客が自社の商品を購入すると、その代金が自社に入ってくる。
入ってきた代金は、その商品を作るために仕入れた材料などの支払いに回されることになる。
その残りは、いわゆる粗利と呼ばれ、そこから従業員の給与等が支払われることになる。
従業員の給与や光熱費、通信代、備品のリース代等を支払った残りのお金を、新製品の開発の費用に回すことができる。
さらに、その残りを、株主の方へ配当金として還元することができる。
さらに、その余りが経常利益となって、国や町に税金を払うことにななる。
さきに述べた研究開発費に回されたお金は、新しい製品を生み出すことになり、それがまた顧客に知れ渡り、販売されることになる。
つまり、この循環によって、会社は無限に発展することができる。
さらに、国や町に支払われた税金は、町の道路の整備や公共施設の充実に使われることになる。
そのように町の道路や施設などが充実してくると、そのに住んでいる人たちの幸福感が増す。
以上のように、自社の製品が売れることによって、自社も発展し、町に住んでいる人々も幸福となり、善の循環が始まることになる。

 以上、ブレインストーミング法によって、営業活動を行えば、その後どうなっていくのかということを考えてみました。

 このように、縁起を考えるということは、一つの出来事が原因となって、次にどのように展開するかを考えることに他なりません。例えば、落語の世界でよく使われる「風が吹けば桶屋が儲かる」という話しと同じように、次から次へと話しがつながっていくと思えばいいでしょう。

 実は、この縁起によって物事を考えるということは、物事を理性的、かつ、科学的に考えていくことでもあります。従って、その考えた結果は、実際と大きく外れることはありません。

 もちろん、その間に、予期せぬこと、例えば、大地震等が起こったりすれば、その原因と結果の連鎖は当然影響受けますので、当初考えていた結果と変わってきますが、通常は、かなりの確率で当たることになります。

 従って、うわさ話しなどに迷わされず、物事を冷静に理性的に考えて判断することが重要になってくるのです。

 世の中の営業マンの方で、毎日の営業活動を苦痛に思っている方も多いことと思いますが、ここで考えたように、自分の営業活動が原因となって、会社も発展し、また町も国も栄えるということが分かったならば、その苦痛は必ずや喜びへと変るものと思います。

 すなわち、考え方一つで、そこが天国にも地獄にもなり得るということなのです。

 しかしながら、実際は、これをすればどうなるかを、あまり考えずに行動している人も多いものです。これは、将棋において、あまり先の手を考えずに駒を動かして人に似ているでしょう。

 あまり先を考えない将棋では、よく「待った」と言ってしまいます。そう言わないためにも、縁起によって物事を考えていくことは、非常に重要であるのです。

 次回は、この縁起で物事を考える例について、もう少し具体的に述べたいと思います。それでは、次回も、このコラムにて、お会い致しましょう。

(*1)『心の挑戦』第一章P.26(幸福の科学出版)

 

   ●平成17年02月17日 縁起を考えることの意義

  先回のコラムでは、営業活動における縁起について考えてみました。縁起とは仏教の言葉なので、難しいように感じられている方も多いのではないかと思います。

 しかしながら、冷静にものごとを考えるならば、極めて当たり前のことであるという事もできます。つまり、原因があれば、必ず、その結果が現れるということを意味するからです。

 物理学では、このことを、作用と反作用の法則とも言い、世界を科学的に考えていくための基本的な考え方となっています。

 ですから、ものごとが、今後どのように推移していくかということを知りたければ、その原因と結果の連鎖を考えていけばよいことになります。

 そこで、この縁起、つまり原因と結果の連鎖による物事の考え方の例を、少し身近なところで示してみたいと思います。

 夜更かしをすると、次の日の日中は眠くなる。

 食べ過ぎると、後でお腹が痛くなる。

 夜、お酒を飲み過ぎると、二日酔いで次の日が苦しくなる。

 試験勉強をしないで、遊んでばかりいると成績が悪くなる。

 寒い日に薄着で出かけると風邪を引く。

 相手に、バカヤローと言うと、喧嘩になる。

 借金をすると、返済に苦しむことになる。

 アリとキリギリスの童話のように、遊んでばかりいると、あとで困ることになる。

 以上、マイナスの面から見た縁起について考えてみましたが、マイナス面ばかりだと、暗くなりますので、プラス面からの縁起の例も、考えてみましょう。

 常に健康に留意し、無理をしなければ、体を壊すことはない。 

 よく勉強すると、成績が上がる。

 人に親切にすると、感謝される。

 勤勉に働けば、自分の評価も上がるし、給料も上がる。

 貯金をすれば、いざというときに役に立つし、また安心だ。

 努力は必ず報いられる。

 以上の例のように、ある原因が作られたならば、必ずその原因に対応した結果が現れるという考え方が、縁起による考え方です。

 この例を見ていただくと、当たり前のことだ、と言われる方も多いのではないかと思います。

 それでは、ここで問題を出したいと思います。次に示す原因行為は、どのような結果になるのでしょうかという問題です。

問題1 国産牛で狂牛病が発生し、国に国産牛を買い上げてもらえることになったので、輸入牛を国産牛と偽って申告し、国に買い上げてもらえばどうなるのか。
問題2 牛乳工場が停電して、牛乳の冷蔵ができなくなったが、それをそのまま市場に出荷すればどうなるのか。
問題3 大型トラックの車輪を支えるハブに欠陥があると知りながら、リコールをせず、そのまま、それを放置したらどうなるのか。

 以上にあげた例は、もう、あまりにも有名となった近年の企業における不祥事です。すでに、前述の例を読まれた読者の皆様は、これらの原因行為によって、その後、どのようになるかは、明確にお分かりのことと思います。

 つまり、この不祥事は、当たり前のことが分かっていなかったのです。いや、少しでも考えれば、すぐに答えが出せるようなことに対して、答えを出せなかったのです。

 このように少しでも考えれば、容易に答えを出せるという設問に対して答えられなかったということは、色々な事情があったにせよ、少しも考えていなかったのではないかと言わざるを得ません。

 ですから、常に、これをすればどうなるのかということを、原因と結果の連鎖でもって考えることは、極めて重要なことであると言えます。

 私は、当事者の方々を責めるつもりはありません。むしろ、この事件を無駄にせず、これからこのような原因と結果の連鎖でもって、ものごとを考えるという習慣を身に付けていただきたいものだと考えています。

 そこで、最後に一転語ですが、100%当たる宝くじとは何かをお教えしたいと思います。宝くじはご存知のように、そう易々と当たるものではありません。もし、100%当たる宝くじがあれば、誰もが買うことでしょう。

 実は、その答えは、「努力」なのです。縁起の考え方から言えば、努力は必ず報いられます。従って、努力すれば、それは当たりくじと同じで、外れることはないということなのです。

 今回は、縁起を考えることの意義について述べてみました。こういう考え方があるのだということを知ることも、大きな発見ではないかと思います。

 それでは、次回も、このコラムでお会いいたしましょう。(竹内)

 

   ●平成17年02月27日 営業活動を考えてみて

 先回のコラムでは、縁起を考えることの意味について述べさせていただきました。簡単に言えば、これをするとその後どうなるかを考えることであると言えるでしょう。

 これも、言わば当たり前のことではありますが、案外と実践されていないことも事実です。ですから、意識してこれらのことについて考える習慣を持つことが重要であると思います。

 さて、過去何度かにわたって、営業活動について四つの切り口(「四考法」)から考えて参りました。つまり、その項目は以下の通りでした。

 1.営業活動の本質を考える

 2.営業活動の理由を考える

 3.営業活動の目的を考える

 4.営業活動の縁起を考える

 これらの項目を考えてみて、通常では思いつかない色々なことを発見することができました。例えば、営業活動の本質を考えるという項目では、営業活動とは、ものを販売することであるというところから出発して、その本質は、人類の発展と進化に寄与することであるという、意外なところまで考えが進みました。

 これらは、改めてじっくりと考えなければ、得られない内容であったのではないかと思います。そこで、過去、営業活動を四つの切り口で考えて参りましたが、考えるにも、やはり必要なものがあることを改めて確認させていただいた次第です。

 過去のコラムで、考えるために必要な項目として、以下の3点をあげました。

 (1)知識や情報

 (2)考える方法

 (3)考える力

 第一の項目の、知識や情報が必要であるということは、ごく当然のこととしてご理解を得られたのではないかと思っています。料理をするためには、材料が必要であることと同じように、考えるにも材料が必要であるということです。それが、知識であったり、情報であるのです。

 第二の項目の、考える方法は、今回の営業活動を考えるに際して利用した方法です。この四つの切り口から考える方法は、現在、私が常に使っている方法ですが、時間と空間の観点から物事を考えることができる方法だと思っています。すなわち、この方法を使うことによって、漏れもなく立体的に考えることができる方法だということです。

 つまり、縁起を考えるところは、時間に当たりますし、目的を考えるところは、空間に当たるのではないかと思っています。

 そして、第三の項目の考える力ですが、これが、これから非常に重要になっていくのではないかと思っています。

 知識や情報があっても、また、考える方法を知っていたとしても、考える力がなければ考えることはできません。考える力があるからこそ、それができるのです。

 では、考える力はどこから出てくるのでしょうか。それには、いくつかが考えられますが、それを以下に示します。

 1.体力

 2.気力

 3.環境

 体力がなければ、考えることはできません。例えば疲れているときや、風邪を引いて寝込んでいるときなどを、想定すればいいと思います。そのときは、何しろ放心状態と言ってもよい状態になりますので、集中して考えることは不可能であると言っていいと思います。

 体力と考える力というものは、あまり関係がないように思われますが、やはり、体力あっての知力ということになります。

 次に、気力です。体力があっても、考えようとする意思の力がなければ、考えることはできません。考えるということは、どうしても精神的に集中することが要求されます。気が散ったり、雑念が湧いたりするような状態では、なかなか考えるということは難しいと言っていいでしょう。

 そして、最後に環境です。テレビの音が大きく鳴っているところや、ロックの音楽が鳴っているところで、集中して深くものごとを考えることは出来ません。

 そのようなところでは、運動神経を使うようなことはできますが、知的なことには向いていません。例えば、テレビの音が大きく聞こえるところで、なぜ人生があるのか、何のために人は生きるのか、などを深く考えることは非常に難しいと言えるでしょう。

 最近、私は、考える環境の大切さを痛感するようになりました。と言うのも、私自身が、考えるという仕事をするために、環境の持つ意味の大きさを改めて認識し始めたからです。

 これからの時代は、はっきりと言って考える時代となります。考えるエネルギーの総和が、すなわち、その組織が生み出すエネルギーの総和になると言う時代がやってくるでしょう。

 そう言った意味で、考える力を高めることに対してあまり関心のないところは、やはり淘汰されていくしかないと言わざるを得ません。

 次回は、この環境について、もう少し続けて考えてみたいと思います。(竹内)

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