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  過去のコラム 平成16年3月〜平成16年4月まで   


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   ●平成16年03月07日 努力する姿勢

先回のコラムで、創造型の仕事に必要とされる項目の第4番目である「先を見通す目」について示しました。そこで、今回はその続きの5番目の項目である「努力する姿勢」について述べたいと思います。

  5.努力する姿勢

 かの有名なエジソンの言葉に、「天才とは、1パーセントのひらめきと99パーセントの努力である」という言葉があります。あれだけの発明王であるエジソンですから、次から次へと発明が生み出されたのではないかと思う方も多いと思います。

 ところが、あれだけの大天才であっても、天才とは99パーセントの努力だと言って努力の大切さを説いています。

 仕事にかかわらず、物事というのはやはり努力なくして成し遂げられることはありません。でも、分かっちゃいるけど止められない、ではありませんが、なかなか努力というものは面倒で難しいものなのです。

 では、なぜ努力が難しいのか、なぜ、そう簡単に行うことができないのか、その理由を探ってみたいと思います。

 (1)体力的につらいから。

 (2)努力することよりも楽をしたいから。

 (3)努力することのメリットを感じないから。

 (4)努力しても見返りが少ないと思うから。

 (5)努力しているところは人から直接的に見えないので、評価してもらえないから。

 (6)早く結果が欲しいので、時間のかかることはやりたくないから。

 などが挙げられます。

 これらの内容を見ていますと、ある共通したことに気づかされます。つまり、努力とは目に見えないもので、そこにはっきりとした結果がいつも現れる訳ではないので、努力することにメリットを感じないということと、努力には、肉体的なつらさや、疲労がいつも伴いますので、どうしても人間は、楽をしたい、疲れたくないと考えるところがあるのではないかということです。

 では逆になぜ、過去に努力を惜しまない人たちがいたのでしょうか。いわゆるその方々は偉人と言われる方なのですが、そこに何か共通した理由でもあるのでしょうか。

 実は、その方々を見てみますと確かに共通した理由があるように思えます。そのいくつかを、以下に挙げてみたいと思います。

 (1)彼らには、何か大きな使命感があること

 (2)目的意識がはっきりしていること

 (3)何か、他の多くの人たちとは違う価値観を持っているように思えること

 などが挙げられます。つまり、彼らの努力する理由には、目に見える具体的なもののためだけではないようなのです。例えば、お金のためとか、他人からの具体的な見返りということが第一義的ではないように思えるのです。

 もちろん、それらが目的で努力して大をなした方々も過去におられますが、それらを目的にせず努力して偉人として尊敬された方々のほうが断然多いのです。

 つまり、そこに価値観の違いがあると言わざるを得ないのです。

 では、彼らの価値観とはどういうものなのでしょうか。実は、それは「理想」であったり、「人々の幸福」であったり、「人々に対する愛」であるように思えるのです。

 あの松下幸之助翁も、それまでは高値の花と言われた電化製品を、あたかも水道の水のように安く多くの人々に提供できるように努力されました。その目的は、女性の家事をもっと楽にしてあげたいという愛の心から、あのような便利な電化製品を安く提供されたのです。

 同じように、本田宗一郎さんも、乗りやすいバイク(スーパーカブと言われました)を、安く、しかも大量に国民に提供されました。また、それだけではなく、環境にやさしく公害のない自動車を作りたいという人々への愛の心から、取得の難しいマスキー法をクリアした自動車を開発されました。

 つまり、これらは単なるお金のためや名誉のためではなく、そこには大きな理想と、多くの人々を幸福にしたいという愛の心があったからではないかと思えるのです。

 ここまでお話しをすれば、もうお分かりのことと思います。つまり、このたゆまなく努力する姿勢は、ここから生み出されるのではないかということです。

 もし、自分が仕事において努力が足りないとするならば、理想が低いのではないのか、この製品によって多くのお客様に喜んで頂きたいという愛の心が不足しているのではないのか、ということを点検してみる必要があるということなのです。

 ですから、あのエジソンの超人的な努力のエネルギーは、自分の発明によって多くの人々を幸福にしたいという愛の心から出ていたといえるのではないかと思います。エジソンの発明した電球によって、いつも油を気にしないで明かりを灯すことができました。また、蓄音機によって美しい音楽をいつでも聴けるようになりました。

 そうした自分の発明によって、人々が幸福になるところを、実はエジソンは見たかったのではないでしょうか。

 以上、仕事には努力することが必要であることを述べました。そして、その努力する背景には、愛の心があるとも述べました。これらを考えますと、仕事というものは、それを通して多くの人々と通じている、送電線のようなものでもあると、改めて感じさせて頂いた次第です。

 それでは、次回も引き続いて、この続きを述べたいと思います。(竹内)

   ●平成16年03月17日 不撓不屈(ふとうふくつ)の精神

 先回のコラムで、創造型の仕事に必要とされる項目の第5番目である「努力する姿勢」について示しました。そこで、今回はその続きの6番目の項目である「不撓不屈の精神」について述べたいと思います。

  6.不撓不屈の精神

 不撓不屈の精神と言うと、少し難しいように思われますが、先回のコラムでお話しした「努力の姿勢」と対になっていると思えばいいのではないかと思います。つまり、努力する姿勢とは、ものごとに取り組む際と、その間の平時の精神状態を表したものでありますが、その途中での問題発生時における精神を表わしたものが、この不撓不屈の精神であると思います。

 不撓不屈という意味は、辞書にありますように困難にくじけないということを意味しますが、では、なぜこの不撓不屈の精神が必要なのでしょうか、それを考えてみたいと思います。

 (1)人間は、困難が現れると、途中であきらめてしまうことが多いから。

 (2)うさぎと亀の競争ではないが、最後まで持続する人が勝利者となるから。

 (3)試練を克服することにこそ人間としての成長があるから。

 先回にも述べましたが、発明王のエジソンは、努力の大切さを訴えました。エジソンは、84年間の生涯で、1000以上もの発明をなした訳ですが、その背後には、その何百、何千倍もの失敗があったということです。

 電球の実用的な炭素フィラメントを発明するのに、7千回を超す失敗があったという話しは有名です。普通の人ならば、数十回でもあきらめてしまうでしょう。でも、エジソンは、実に7千回を超える失敗の末に、実用的なフィラメントを発明したのでした。

 つまり、努力も途中でくじけてしまっては何もならないということですし、また、何があろうとも、その努力を持続することによって、それが実るということなのです。

 これも金の鉱脈を掘り当てることに似ているかも知れません。金の鉱脈は、どの深さにあるかは分かりませんが、どんどんと堀り進んで、あと少しのところで止めてしまっては、今までの努力が全て水の泡となってしまいます。

 例えば、100mの深さにある金の鉱脈を、90m、あるいは、99mのところで止めてしまっては、何の成果もありません。たとえ、あと1mであったとしても止めてしまっては、成果は0なのです。ですから、どのような困難にもくじけず、あきらめない精神が必要なのです。

 さらに、言わせていただけるならば、世の中は皮肉なもので、失敗から新たな発明がなされることもあります。

 ノーベル賞を受賞された、かの有名な島津製作所の田中耕一さんは、失敗の実験から受賞になった発明が生まれたと謙遜して言っておられました。しかし、田中耕一さんは、その失敗を単なる失敗とせず、あきらめなかったところに、受賞に値する非凡さがあったのではないかと思います。

 あきらめずに、その実験をしたということは事実であり、原因と結果の法則に則して言うならば、その実験に対して当然の結果が出たということではないかと思います。

 つまり、ここで言いたいことは次のとおりです。

 (1)まず、物事を始めるときには努力する姿勢で取り組むこと。

 (2)そして、その途中において困難が現れても、それにくじけてはならないこと。

 (3)原因と結果の法則によって、為したことは決して無駄にはならないと思うこと

 以上のことが大切であると思います。特に、何が失敗で、何が成功かは、なかなか分からないところがありますが、ただ為したことは、決して消えてしまうことはないとのだ、と思うことが大切ではないかと思います。

 つまり、そうであるからこそ、「決してあきらめてはならない」「ネバーギブアップ」という精神とが、何事においても必要と言えるのではないでしょうか。

 読者の皆さんの中にも、自分の仕事の中で、何度も困難な事態に遭遇されたことがあったのではないかと思います。そして、そのときに、決してあきらめず最後まで頑張ったときに何かを得られたはずです。

 もちろん大成功したならば、それで良かったですし、もし、そうでなかったとしても、何らかの学びや教訓を得られたのではないかと思います。

 ですから、仕事において、どのような困難があったとしても決してくじけず、あきらめないという精神を持つということが大変重要であるということを確認させていただいた次第なのです。

 それでは、次回は、さらにこの続きについて述べたいと思います。(竹内)

   ●平成16年03月27日 そして、インスピレーション

 先回のコラムで、創造型の仕事に必要とされる項目の第6番目である「不撓不屈の精神」について示しました。そこで、今回は、その最後の7番目の項目である「インスピレーション(ひらめき)」について述べたいと思います。

  7.インスピレーション(ひらめき)

 前項において、自分の努力、そして、何事にもくじけない精神が必要だと述べました。要は、まず、自分の力を頼りにして、自分の仕事をやり遂げることが必要であることを述べさせて頂きました。つまり、創造的な仕事をしていくためには、自助努力、セルフヘルプの精神が必要だということです。

 しかしながら、努力しても努力しても、どうにもならないこともあります。何か壁のようなものが行く手をさえぎり、先に進めないことも多くあります。

 そのようなときに、ふっと、ランプがついたように、ひらめきを得たことを経験された方も多いのではないでしょうか。実は、これが、インスピレーションであって、創造的な仕事をする場合においては、極めて大事なことなのです。

 特に、作曲家や画家などのように、芸術に生きておられる方々には、このインスピレーションをかなり経験されている方も多いと思います。

 北宋の文化人であった欧陽修という人が、よい文章を書くための、ひらめきを得るいい場所として、友人に「三上」ということを語ったと言われています。

 この三上とは、「さんじょう」と読み、馬上(ばじょう)・枕上(ちんじょう)・厠上(しじょう)を意味するということです。私は、後でこの言葉を知ったのですが、まさにインスピレーションを受けられるいい場所として、この三上が自分がほとんど経験したとおりなのでびっくりしたぐらいです。

 では、そのそれぞれについて述べてみたいと思います。

 (1)馬上

 文字通り、馬に乗っているところですが、現代では馬に乗らないので、電車やバスなどの交通機関でしょうか。

 実は、私はあるコンピュータメーカのSEとして、規模の大きいシステムプログラムの設計開発を行っていました。もう何年も前のことですが、日本で始めて、そのシステムを開発をしたのですが、ほとんど毎晩、終電車間際まで、メンバーの皆と技術的な議論をしておりました。

 そのとき、何らいいアイデアも出てこず、疲れ果てて終電車の地下鉄に乗って帰宅していたときのことです。その地下鉄の中で、「今日もいいアイデアが出なかったたな。疲れたな」と思って、ぼうっとしていたところ、ふっと、いいアイデアが沸いてくるのを何度も体験したのです。

 初めは、「ああいい考えだな。これでいけそうだな」と思って、そして、駅に着いたので電車を降りたのですが、そのとたんに、その全てを忘れてしまったということがありました。

 この様なことが何度かありましたので、それからと言うものは、ノートにその思いついたことを書くようにしました。そして、次の日の朝、メンバーの皆に向かって、その考えを発表したということは言うまでもないことですが、こういう経験を何度かいたしました。

 このようなことがあってから、乗り物は、インスピレーションを受けられるよい場所だということを認識した次第です。

 (2)枕上

 枕の上、つまり、寝入り端(ばな)や、目覚めの間際のときに、またインスピレーションを受けやすくなります。うとうととしている夢の中で、インスピレーションが受けやすくなるとということなのでしょう。ノーベル物理学賞を受賞された湯川秀樹博士の夢の中での発見の話しは有名です。

 私は、寝るときは、それこそすぐに寝てしまいますので、目が覚めるということはほとんどありませんが、実は、起きがけのときに結構ひらめきが多いのです。朝、目が覚めそうになって、うとうととしていますと、ぱっと問題になっていたことの答えなどがひらめくことがあります。

 特に多いのが、その日にやるべきことの内容です。本日は、これとこれをやるべきであるということが、ぱっと浮かんできますので、それをすぐさまノートに控えるようにしています。

 そして、その内容に従って、仕事をしていきますと、それが結構いい結果をもたらすのです。こういう経験を多くしています。実は、今でもこの経験をしている最中なのです。

 (3)厠上

 厠(かわや)とは、昔でのトイレの呼称です。ここも、インスピレーションを受けられるとあります。残念ながら、私はトイレが短いのでしょうか、あまりインスピレーションを受けた記憶がありません。おそらく、そういった方も多いのでしょう。トイレもインスピレーションが受けられるいいところだということです。

 以上、三上について述べましたが、これらの三つに共通しているところは、自分の心が開放されていて、受身になっているということだと思います。電車に乗っているときなどは、目的地に着くまで、自分ではどうしょうもなく、ただ、乗っているしかありません。

 寝る人あり、本や新聞を読む人ありですが、何もしなくてぼっとしていると、ふっとひらめきがやってくるということだと思います。このように、心がガサガサせず、ゆったりと受身になっていますと、インスピレーションを受けやすくなります。

 そして、非常に大切なことですが、このインスピレーションは、努力に努力を重ねた果てにやってくるという法則があるということなのです。

 まさに、「人事を尽くして天命を待つ」でしょうか。人事を尽くさなければ、ひらめきは頂けないというルールがあるように思えます。

 ですから、自分にはひらめきが少ない、インスピレーションが降りてこないと思っておられる方がいるならば、その人は、まだまだ努力が足りないということではないかと思います。それこそ、知恵の汗を流し、人事を尽くし、もうこれ以上は無理だ、と思ったときに降りてくるのではないかと思います。

 インスピレーションとは、他力的なるものと言うことができますが、自力がなければ他力をいただけないという、皮肉とも言える法則がここに働いているということを発見した次第です。

 以上、何回かに分けて創造的な仕事に必要とされる7つの項目について述べて参りました。もちろん、この他にも大切なこともあるかと思いますが、私の拙い経験から述べさせていただいたこれらを、何かの参考にして頂ければ幸いです。

 では、次回から、管理型の仕事に必要とされる項目について述べて参りたいと存じます。(竹内)

   ●平成16年04月07日 管理型の仕事に必要とされるもの

 先回のコラムで、創造型の仕事に必要とされる最後の項目である「インスピレーション」について示しました。これで、創造型の仕事に必要とされる項目の全てについて説明が終わりましたので、いよいよ今回から、管理型の仕事に必要とされる項目について述べて参りたいと思います。

 以前のコラムで、仕事には二つの類型があって、一つは、創造型の仕事であり、今ひとつが管理型の仕事であるということを述べました。

 では、この管理型の仕事というものはどのようなものなのでしょうか。今回からシリーズで、それを考えていきたいと思います。

 管理型の仕事は、地味ではありますが非常に重要で、これが実践されていないと組織として十分に機能することができなくなります。つまり、端的に言うならば、この管理型の仕事が出来ない会社は、もはや会社の形態をなしてないと結論づけることも可能だと思います。

 では、管理型の仕事にはどのようなものがあるのでしょうか。もう一度、ここであげてみたいと思います。

  ・問題解決を行う仕事

  ・プロジェクト・マネージメント(プロジェクトの進行管理などを行う仕事)

  ・建築の現場監督の仕事

  ・TQC(Total Quality Control)のように製品の品質管理をする仕事

  ・販売管理、在庫管理、生産管理、財務管理、人事管理など「管理」がつく仕事

  ・事件や事故を解決するための仕事(問題解決の仕事に含まれますが)

 などがあげられますが、ここでの特徴は、問題が発生したらその問題解決を行うような仕事であると思えばいいでしょう。

 それでは、問題とは一体何なのでしょうか。

 実は、問題とは「理想」と「現実」の「ギャップ」のことを言います。つまり、本来のあるべき姿、あるいはこうのようにならないと困るという姿と、実際の現実の姿との差の部分を問題と言います。

 例えば、今月の売上目標が、1000万円だとして、もし、月間の売上が伸びず目標が達成されなかった場合、目標の1000万円と実際の売上額との差が問題ということになります。

 ですから、この問題が明確になるためには、本来のあるべき姿の理想がしっかりと設定されていなければなりません。あるいは、簡単に言うならば目標値がなければならないということです。

 企業によっては、目標も予算も設定しないで活動しているところもあるようですが、それでは問題の発生のしようがなく、また、問題を解決するための仕事も発生のしようがないと言うことになります。

 ですから、問題解決型の仕事にまず大切なことは、理想の姿、あるいは具体的な数値目標を立てることが必要となってきます。

 実は、この問題という言葉は企業や組織での表現ですが、人生では、これを「悩み」と言います。悩みと言えば、経験者が多いので分かりやすいのではないかと思います。なぜなら人生の悩みはいくらでもあるからなのです。

 例えば、病気の悩み、経済的な悩み、結婚の悩み、子育ての悩み、子供の進学の悩み、嫁姑関係の悩み、夫婦不和の悩み、老後の悩みなど、数えたらきりがありません。

 しかしながら、人生の悩みは多いと言っても、毎日違った悩みが次から次へと現れることはまずありませんが、企業では、毎日が悩み(問題)の連続です。

 例えば、加工するための材料が納期を過ぎても業者から入らない、加工する要員が風邪をひいて休みとなった、加工をしようと思ったら加工機械が壊れた、顧客から急に飛び入りの仕事が入って、それを優先させなくてはいけなくなった、などなど、これらは毎日何度でも繰り返して起きる問題です。

 そのように発生した問題を、快刀乱麻を断つが如く切っていかなければならないのが企業の姿です。ですから、もし、それらの問題の解決が遅れたならば、あのお盆に帰省する車の渋滞のように、仕事が滞ってしまいます。

 不思議なものなのですが、仕事の問題解決と人生の悩み解決には、相関関係があるようなのです。仕事での問題解決がよくできる人は、家庭の問題も上手に解決しておられます。

 逆に仕事のできない人は、家庭でもまた同じように問題が山積みとなって、ひっくり返っているというようなことがよくあるようです。

 ですから、仕事能力というものは、人生を生きる力とまったく関係のないものではなく、仕事能力が高くなれば、また人生のという大河を小舟に乗ってうまく操縦できるようになっていくものと思われます。

 つまり、人生を縮図したものが、企業の1日であると言うこともできるかも知れません。

 それでは、次回は、管理型の仕事に必要な項目について具体的に述べていきたいと思います。(竹内)

 

   ●平成16年04月17日 管理型の仕事に必要とされる知識

 先回のコラムで、管理型の仕事とは、問題解決にあることを述べました。そして、その問題とは、理想と現実のギャップのことを言い、そのギャップを取り除くことを問題解決と言うことも示しました。そこで今回から、いよいよその管理型の仕事に必要とされる項目について述べて参りたいと思います。

 では、管理型の仕事に必要とされる項目には、一体どのようなものがあるのでしょうか。それをまず考えてみたいと思います。

 (1)知識

 (2)経験

 (3)問題を発見する能力

 (4)その原因をつきとめる能力

 (5)その問題の原因を取り除く能力

 (6)仕組み(システム)

 (7)強い念い

 どういう訳か、創造型の仕事に必要とされる項目の数と同じになりましたが、7つあげてみました。そこで今回は、その第一番目の項目である「知識」について述べてみたいと思います。

  1.知識

 仕事というものは、創造型の仕事であれ、管理型の仕事であれ、あるいは、単純な力仕事であっても、知識がなければできません。力仕事であっても、スコップやハンマーなどの道具についての知識がなければ仕事になりません。ましてや創造型や管理型の仕事になれば、もっと多くの知識が必要とされることは容易に想像がつきます。

 ですから、どのような仕事であっても知識が必要なので、世に出て働くために、昔から寺子屋や学校に通って様々な知識を学んで来た訳です。

 しかも、必要とされる知識は、仕事の内容によって変わってきますので、仕事に応じた知識を学ぶ必要があります。例えば、医者には医者の知識が必要とされますし、弁護士には弁護士の知識が必要とされます。従って、ここで述べる管理型の仕事においても、管理型の仕事を行うに必要な知識を学ぶ必要があります。

 では、管理型の仕事に必要とされる主なる知識には、どのようなものがあるのでしょうか。それを考えてみたいと思います。

 (1)問題解決技法

 (2)人間に関する知識

 (3)法則

 管理型の仕事を行うためには、その管理を行う仕事の最低限の業務知識を身に付けておくことが必要となりますが、その他に、以上に示した三つの知識が必要ではないかと思います。

 まず、第一番目の問題解決技法の知識ですが、意外と問題解決のための方法があると、あまり知られていません。多くの人たちは、問題が起きたならば、試行錯誤してその問題の解決に汗を流されているのではないでしょうか。

 しかしながら、この問題解決技法は問題解決のための道具のようなもので、もし、これがなければノコギリやハンマーなしで大工仕事をするようなものとなります。

 逆に、これを知っていると武器を手にしたようなもので、俄然仕事の効率が上がってきます。よく「知は力なり」とも言いますが、特に問題解決においては、まさにその通りというところがあります。

 では、そのような問題解決のための方法にはどのようなものがあるでしょうか。少しあげてみたいと思います。

  (ア)KJ法(川喜多二郎氏発案の方法)(*1)

  (イ)NM法(中山正和氏発案の方法)

  (ウ)5W1H法 などなど・・・

 その他、数多くがありますが、ここではその内容の解説が目的ではありませんので詳しくは参考文献に譲ります。要は、そういう問題解決のための道具があるということを知ることが大切だということです。

 中でもKJ法は非常に有名で、会社の品質管理のグループ活動(TQC活動ともいう)にも応用されて、かなりの効果をあげている方法でもあります。

 このKJ法を見ていますと、非常に科学的で、かつ分析的に問題を解決していこうというところは、仏教の四諦(苦集滅道)(*2)の教えに通じるところがあるように思えます。やはり真理というものは、古くなるということはなく、永遠に生き続けていくものだと改めて思った次第です。

 さて、2番目の人間に関する知識ですが、これは、なかなか得るところに難しいものがあります。でも非常に重要です。世の中の管理職で、部下たちが人間関係で困っていても、解決できない人が多いようで、ただ「皆仲良くやってよ」と言うだけの管理職も多くいます。

 さらに、もっとひどくなると見て見ぬふりをして逃げを決め込んでいる人もいます。最近の新聞では、職場の問題点として人間関係を挙げる人が半数を超えているという記事もありました。それぐらい重要になってはきていますが、この人間関係の問題の解決に関する書物が少ないのが現状でしょう。

 私も、コンピュータの仕事をしていますが、コンピュータの専門図書は、それこそ書店に溢れ返っているのに、人間関係の問題解決の書物の少なさには驚かされます。おそらく、この知識が、これから職場で専門知識以上に重要になってくるのではないかと予感をしています。

 最後の3番目に、法則をあげてみました。この法則を知るという意味は、問題解決に当たって、法則を知るのと知らないでは、その解決に大きな差が出ますよ、ということを言いたいがためにあげました。つまり、もし法則に反したことを一生懸命にやったとしても、それは報いられることはありませんよ、ということなのです。

 これは非常に重要で、むしろこれがまず第一にくるべき項目かも知れません。

 例えば、この世界には作用と反作用の法則がありますが、それを認めずに、物がぶつかっても反作用を受けないようにしたいと思っても、それは出来ないことなのです。ある力でぶつかったら、同じ力で反作用が返ってくるのです。それは当たり前のことなのです。

 物がぶつかる例でお話しをすれば、誰でもが分かることなのですが、法則を無視したことがあちこちで行われているのも事実です。例えば、人をだまして儲けるような仕事は、一時儲かるようなことがあっても、善因善果、悪因悪果の法則によって、必ず報いを受けるようになっています。

 従って、この法則を知っていたならば、悪いことをして儲けようと思っても無駄だと分かり、そのようなことは一切出来なくなります。過去に、輸入牛を国産牛と偽って補助金をもらった企業が、今どのようになっているかを見ても明らかです。 

 この法則に関する書物も、なかなか少ないのが現状です。でも、真理の書籍(*3)が段々と世の中に出されているということは、時代が変わってきていう証でもあるような気がします。

 以上、管理型の仕事に必要とされる知識について、その概要を述べてみました。

 それでは、次回は、さらにこの続きについて述べたいと思います。(竹内)

(*1)『幸福の法』第2章「ワンポイントアップの仕事術」(幸福の科学出版);(*2)『悟りの挑戦(上)』第3章「苦・集・滅・道」(同);(*3)『太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』他多数(同)

   ●平成16年04月27日 なぜ経験が必要なのか

 先回のコラムで、管理型の仕事に必要とされる項目の第1番目である「知識」について示しました。そこで、今回はその続きの2番目の項目である「経験」について、なぜそれが必要なのかを中心に述べてみたいと思います。

  2.経験

 以前のコラムで、創造型の仕事における経験の項目の中で、経験の素晴らしさについて述べました。管理型の仕事においても全くそれは同じです。やはり、経験は、知識とともに大変貴重なものです。

 では、なぜ知識と経験が必要だとよく言われるのでしょうか。また、両者にはどのような関係があるのでしょうか。それをまず考えてみたいと思います。

 ものごとに対する理解、つまり分かるということは、まず知るというところから始まります。何事も知らなければ始まりません。例えば、りんごは赤い、みかんは黄色いと言う知識を得ることによって、それらの色を知ることができます。

 そこで、りんごやみかんを見たことも触れたこともない人に、それらの絵を描いてもらえばどうでしょうか。

 おそらく、りんごやみかんに触れたこともない人は、まるい円を2つ描いて、赤と黄色にそれらの円を塗るでしょう。しかし、りんごを実際に手に取って感じた人は、全体を赤に塗りつぶすのではなく、おそらく、りんごの上の部分と下の部分の色を変えるでしょう。

 また、みかんを描くときも、一面黄色で塗るのではなく、つぶつぶのくぼみまでを描くと思います。

 つまり、ものごとが分かるということは、もちろん知識として知るということから始まりますが、次の段階としては、実際にそれに触れてみて体験することによって、これで理解したということになります。

 ですから、知識と経験は、両方から得られる相乗効果によって、互いに高めあう関係にあるのではないかと思います。

 では、経験することによって、どういうことが分かるようになるのでしょうか。それを考えてみたいと思います。

 (1) 体での感じ

 (2) 程度

 (3) ものごとの優先順位

 まず最初の体での感じは、文字通り体験することによって得られるものです。頭で理解していても、本当にどういうものかは、体で感じなければ、その実際は分からないものです。

 ことわざに「百聞は一見に如かず」とありますが、「百見は一行に如かず」と言うこともできるのではないでしょうか。

 以前のコラムでも言いましたが、例えば、水泳を考えてみたいと思います。これから水の中を泳ぎたいと思って水泳の本を買って読んだらすぐに泳げるかと言えば、それは無理というものです。水の感覚、水の中での呼吸の止め方、あるいは、目を開いたときの見え方は、本を読むだけでは分かりません。実際に体験して初めて分かることなのです。そのように、経験することによって、体での感じが分かるということがまず挙げられます。

 次に程度があります。知識は言葉で表現すれば一言で終わってしまいますが、その実際には程度が含まれています。例えば、辛いカレーを食べたとします。カレーは辛いと言葉で表現できますが、どの程度辛いかは、実際に経験しなければ分かりません。

 カレーの製品には、甘口、中辛、辛口などの表記がありますが、これも、実際に食べてみなければ、どれくらい辛いかは分からないのです。ですから、経験することによって、その程度が分かるということです。

 そして、ものごとの優先順位というものがあります。これは、程度が分かるからこそ分かるものですが、特に仕事においては、優先順位というものが常に重要となります。

 ビジネスマンやOLは、いつも忙しいものですが、その忙しい中で、どの仕事からすればいいかが分からなければ仕事ができる人とは言えません。仕事という名称がつけられているからには、まったく不必要なものはないと思います。しかしながら、自分の体は1つしかありませんし、また、1日は24時間しかありません。

 そう言った限られた条件の中で、全ての仕事を同列に扱う訳にはいきませんので、優先順位をつけて、あるものは先に、あるものは後で行うようにしなければならないのです。

 その優先順位が分かるためには、仕事を多く経験して、それぞれの仕事の程度が分かるようにならなければならないと言うことなのです。

 ですから、仕事での問題を解決できるようになるためには、知識だけではだめで、経験を多く積んでそれらの程度を知ることが大事だということです。

 さて、もう何十年も昔のことですが、クレージキャッツの植木等さんの歌で、スーダラ節というものがありました。その中で、「分かっちゃいるけど止められない」というセリフがありました。

 私もこのセリフには共感を覚えることがあり、分かっているのに、なぜまた同じ過ちを犯すのだろうかと、いつも自問自答をしていました。

 そこで、はっと気づいたことですが、実は「分かってない」ということが「分かった」のです。自分では、分かっているつもりだったのですが、それは単に頭の知識として分かっているだけで、自分の深い理解にはなっていないということに気づいたのです。

 例えば、食べ過ぎてお腹を壊し、もう食べ過ぎまいと思ってもまた食べ過ぎてしまう。夜更かしをして、次の日は会社であくびばかりするので、もう夜更かしはするまいと思ってもまたしてしまう。

 これは、どういうことかなと思ったのですが、食べ過ぎや夜更かしはいけないと頭で知っているだけであって、本当にそのように思っていなかった。つまり、本当は分かっていなかったということに気がついたのです。

 そして、それが分かるためのキーワードとして経験があるのではないかと思います。

 つまり、何度も何度も同じ過ちを犯し、もう、こりごりだと思ったときに、本当に分かったというレベルになるのではないかと思います。ですから、同じ過ちを犯すようだと、まだその経験からの学びが十分でないと言えるのではないでしょうか。

 そう言えば、地獄というところは、何度も何度も同じことを繰り返し、ほとほとそれをすることに嫌気がさしたときに、その勉強が終わるということを聞いています。

 やはり、人間にとって理解を深めるためには経験を重ねることが必須であることの証ではないでしょうか。

 ということで、今回は、管理型の仕事をするためには、まず知識を得るということから始まりますが、本当に深く理解して仕事をするためには、実際に経験してその感覚や程度を知ることが大事であるということを述べました。

 それでは、次回は、さらにこの続きについて述べたいと思います。(竹内)

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